おおむかしに中国へでかけ、むこうの文化を勉強し、
それをまた日本にもってかえったうごきをしると、
たいへんなとりくみだったろうと想像する。
いまの留学とはぜんぜんちがうだろうし、
夏目漱石のころにイギリスへでかけたのとも、くらべられそうにない。
何月何日に出発して、何年の何月にかえってくるのかなんて、
予定はなかなかたたなかったはずだ。
お金はどういうかたちでもっていくのか。
身の安全はたしかだったのだろうか。
中国語をどうやってまなんだのか。
どういうメンバーでゆき、どんな分担で
なにを吸収しようとしたのか。
きっと、当時の総力をあげての大事業だったのだろう。
でも、その時代にはその時代なりの最高技術があり、
必然のシステムがあったはずだ。
きっと、いまの時代を生きるわれわれが、
最先端の技術をまなぶために外国へいくのとおなじように、
当時のひともあんがいあたりまえのこととして
中国へわたっていたのではないか。
どこで船を調達し、むこうについたらどうやって勉強するのかも、
当時なりのシステムがととのっていたにちがいない。
いまという時代に、おおむかしをふりかえると、
当時のとぼしい情報と、おとった技術でなんとかやりくりし、
よちよちあるきの活動しかできなかったようにおもってしまうけど、
いつだって、そのときはその時代の最先端だったわけで、
そのときの最高のやり方でとりくんだはずだ。
いま世界でおきていることにたいして、
どの国もそれぞれに一生懸命対応をかんがえている。
それは、いまという時代にとることのできる最高・最善の対応だ。
100年たって、2014年のできごとをふりかえったとき、
ずいぶんおくれたかんがえ方しかできていないことを
未来の人間はあきれるだろうか。
むかしにしてはいい対応だったと感心するだろうか。
むかしの技術をひくいレベルときめつけるのは、
いまがそれだけすすんでいるという意識のうらがえしだ。
ほんとうにそうなのだろうか。
当時において最高レベルの技術だったように、
いまの最高レベルは100年後からみるとおとってみえるだろう。
そして、むかしもいまも、そして100年後も、
たかいところからみれば、目くそが鼻くそをわれっている程度の差なのかもしれない。
法隆寺を当時の技術でどうやってたてることができたのか
よく不思議がられるけど、
おおきな木をつかった建築があたりまえだった時代には、
そのなりのすすんだ技術が発達していたはずだ。
ピラミッドだって、モアイ像だって、
当時の技術をいまよりもひくくみるから むつかしい事業におもえるのであり、
石をあつかうシステムについては、
いまではうしなわれてしまったかもしれない
たかいレベルの技術があったのだろう。
むかしの技術がおとっていたとおもうのは
現代人のおもいあがりだ。
いまの技術は、人類史上最高のものかもしれないけど、
それは、いつの時代でもおなじことがいえる。
最先端だといくらりきんでみても、
未来からみればたいしたことないかもしれない。
むかしのはなしをきいたり よんだりすると、
ついいまよりもおくれていた時代ときめつけてしまうけど、
いつだって、その時代においては最先端だったことをわすれないでいたい。
当時のシステムをおとったものとみくだしてはならないし、
いまの技術が絶対だとおもいこまないほうがいい。
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