「被災地の子どもたちをブラジルに!」
というプロジェクトをしった。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2014/columndtl/201404210005-spnavi?page
サッカー日本代表の応援でしられる ちょんまげ隊長ツンさんのとりくみだ。
ちょんまげのカツラと、お手製のヨロイできめたツンさんを
日本代表の試合でみかけたひとはおおいだろう。
よくそんなに外国での試合にかけつけるなーというおどろきと、
奇をてらったその姿にうさんくささもかんじ、
なんなんだこのひとは、と
わたしはあまりいい印象をもっていなかった。
そのツンさんが、Wカップブラジル大会に、
牡鹿半島の子どもたちを招待しようとしている。
宇都宮さんの記事から、ツンさんは代表の応援だけでなく、
被災地支援もずっとつづけてきたことをしる。
ツンさんは、ものすごくかっこいいひとだったのだ。
「この間、数えてみたら東北には(この3年間で)56回行きました。
そのうち牡鹿半島には約半分の25回。
それと報告会は、今年だけで30回は開催しましたね。
(AFC U−22選手権が行われた)オマーンに行った時には、
その周辺国のカタールとUAEにも足を伸ばして2週間に11回。
あとは、シンガポール、プノンペン(カンボジア)、上海(中国)、台湾でも開催しました」
というから、これはたいへんなひとだ。
男鹿半島にこだわるのは、そこが陸の孤島ともいうべき
とざされた地域だからという。
そういう地域にすむ子どもたちだからこそ、
ブラジル大会に招待したいとツンさんはおもいたった。
ツンさんは、とくにサッカーがすきだったわけではなく、
ドーハの悲劇のときに、たまたま関心をもった
「にわかサポーター」なのだそうだ。
99年から海外での観戦をはじめ、
カツラ&ヨロイのスタイルにたどりついた。
応援するのはA代表だけでなく、
2012年に女子のU-20Wカップが日本でおこなわれたときには
もりあがりにかける大会を心配し、
「U-20女子Wカップ盛り上げ隊」をたちあげ
「集客・応援・感謝」をめざした活動を展開している。
「感謝」とは、東日本大震災たいして
世界中からあつまった支援にたいするものだ。
「いろいろ支援をありがとう。
日本は未来に向かって歩き始めてます」
と、16の言語でかいた横断幕をツンさんたちは用意して
感謝の気もちを世界にしめした。
ツンさんは、基本的にひとりで活動をおこなっている。
NPOをたちあげるというやり方をついおもいうかべるが、
ツンさんはひとりでやるときのスピードを大切にしている。
「大きな組織を作ったり、頼ったりするのではなく、
この指止まれ方式でやっています。
チームを組んで夏で暑いから被災地にアイスクリームを持っていきたいと思っても、
いやいやアイスよりビタミンがいるから野菜だよって言われたら
その船=チームは動かない。
でも僕がこうしますと言ったところに乗っかってくるシステムだと、
その船はすごいスピードで動くわけです。
賛同するやつだけその船に乗ってくれればいい。
ジョインするのも自由だし、離れるのも自由だし」
自由にうごきまわるツンさんがすてきだ。
ツンさんの活動は、それまで自分がやってきたことの延長線にある。
震災がおきたとき、自分になにができるかをといかけると、
仕事であつかうクツをおくることをおもいついた。
被災地にかよいつづけるうちに、必要とされることをみきわめ、
おもいついたことを実行する。
男鹿半島の子どもたちをブラジルに招待するのは、
ツンさんにとったら、自然な発想なのだろう。
ツンさんは、応援が必要なひとをみかけると、
声をかけずにはおれない ほんもののサポーターだ。
きょねん、わたしは地元でおこなわれるハーフマラソンのレースに
被災地のランナーを招待しようとおもいつき、
職場のサイトにその記事をのせた。
アイデアはよかったとおもうが、
サイトにのせただけではなんのといあわせもなく、
企画だおれにおわってしまった。
ツンさんの行動力をしると、たかだかそれぐらいの案をおもいついただけで
あとはなにもせずにほったらかしていた自分がはずかしい。
「被災地の子どもたちをブラジルに!」のプロジェクトは
目標にしていた金額があつまり、4人の子どもたちを
招待できることになったそうだ。
ツンさん(とツンさんを支援するひとたち)のとりくみが
成功することをねがいつつ、
自分たちの招待企画も実行させようとおもった。
いつか、どこかの国のどこかの会場で、
ツンさんといっしょに日本代表を応援したい。
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