まだわかいころの青年期と、40代になり、
楼蘭探検や厳冬期のシベリアをおとずれるはなしが
交互でかたられる私小説だ。
わかいころの舞台は、オリンピック景気にわく東京で
飯場仕事で汗をながす場面がおおい。
そこに、アルマイト製の弁当箱がなんどもでてきて、いい味をだしている。
ぎっしりご飯がつめられたいわゆる「どか弁」で、
肉体労働でへとへとになったからだに
このアルマイト製の四角いお弁当箱が
どれだけありがたい存在だったかがつたわってくる。
まえにホームセンターへお弁当箱をかいにいったとき、
たくさん商品はありながら、なかなか気にいるものにであえなかった。
おおきさと機能の両方に 納得できるものがないのだ。
むかしながらの箱型のアルマイト弁当箱でいいや、とおもうのに、
それもまたない。
「どか弁」はもうすたれてしまったのかとネットをみると、
キャラクター商品みたいなチャラチャラした子ども用として
アルマイト製お弁当箱は生きのこっていた。
そして、「どか弁」型アルマイト製お弁当箱もまた、
レトロな味わいがみなおされつつあるようだ。
わたしがこのまえまでつかっていたお弁当箱は、
上下2段にわかれたプラスチック製のものだ。
配偶者が「もしよければ」とかってくれたので
とくによくはないけど、
「あまりよくない」とはいいにくい微妙な存在だった。
そのまえはプラスチック製の箱型で、
密閉できるようにゴムがはいっていたり、
パチッとフタがしまるような工夫がかえってアダとなり、
あらいにくかったりこわれやすかったりした。
お弁当箱は、アルマイト製にとどめをさす、とおもうようになった。
本屋さんをぶらついていたら
いろんなひとがたべているお弁当を紹介した写真集があり、
その表紙にうつっている四角いアルマイト製のお弁当箱がうつくしかった。
無骨なお弁当箱に、ぎっしりと定番のおかずがつめられている。
塩シャケ・タマゴヤキ・野菜の煮しめ・たくあん、それにもちろん梅ぼし。
人生のよろこびは、はらぺこでかかえるアルマイト製弁当箱なのではないか、
とおもわせるいい写真だ。
このごろは午後からでかける仕事となり、
お弁当をつくらない生活になった。
のこりものをガサゴソやるのもわるくないけど、
写真集にうつっていたような
定番おかずをつめこんだアルマイト製のお弁当箱にあこがれる。
トレーニングやジョギングではなく、
肉体労働によってつくりだされたはらぺこ状態で
アルマイト製のお弁当箱をかかえたい。
『そらをみてますないてます』は、本筋もおもしろいけど、
その脇にはいつもアルマイト製のお弁当箱があって、
お弁当箱へのおもいがかきたてられる「お弁当小説」でもある。
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