デイリーポータルZに掲載された記事を編集した本だ。
・具でパンをはさめば逆サンド
・どこまでお子様ランチか
・キャトルミューティレーションしてみたい
・どうにかしてプリンをウニにしたい
・カルボナーラめしとちらしスパ
など19編がおさめられている。
「ばかが作ったごはんを見て
『ばかだなー』と思うための本です」
というのが本書のコンセプトで、
でも「ばかだなー」とはならずに、
すごいなー、と感心することがおおい。
べつやくさんは、なにか料理をみると、
「こうしたらよさそう」と工夫したくなるひとみたいで、
その好奇心は、かなりめんどくさい実験にもおよんでいく。
たとえば「どこまでお子様ランチか」では、
お子様ランチをお子様ランチたらしめているのは
あの旗にちがいない、という仮説をもとに、
いろいろな料理に旗をたてて
それがお子様ランチにみえるかどうかをためしている。
たしかに、旗がたててあるとたのしそうで「お子様ランチ」的になる。
その効果がおよばないのが「青菜いため」で、
白いごはんだけのおちゃわんに旗をたててもかなりさびしい。
結論として、「お子様ランチになれないもの」は
・色が地味なもの
・華やかさがないもの
・手抜き感あふれるもの
・草っぽいもの
・子どもがこのまなそうなもの
という結果がでた。
だからなんなのだ、なんていってはいけない。
これらはすべて、ためさなければわからなかったことだ。
それをすべて実行したべつやくさんの探究心は
りっぱな研究者といってよい。
「カルボナーラめしとちらしスパ」は、
タイトルどおり
ごはんにカルボナーラソースをかけ、
スパゲティにちらしずしの具をのせている。
そんなこと、べつやくさん以外に、だれがおもいつくだろう。
それがまたおいしかった、というからべつやくさんの胃袋は健康だ。
カルボナーラめしについては
「知らないだけでこういう料理があるんじゃないか」
ちらしスパは
「寿司というより新しい食べ物という感じだ」
というたのもしいコメントがかきこまれている。
たとえもうまい。
湯のかわりに鶏ガラスープでカップヌードルをつくったときは
・カップヌードルのスープっぽくない味がする
・あのジャンクさはどこへ
・逆に、麺のジャンクさが際立つ結果に
として、
「例えるなら一人だけ劇画のまんが」とあり、
ドラえもんのキャラクターのなかで、
のび太くんだけがゴルゴ13の劇画タッチでえがかれている、
そんなかんじらしい。
よみおえてかんじるのは、この本は料理の本ではないかもしれない、
ということだ。ほんのちょっとしたひと手間で、
みちがえるようにおいしくなる工夫、などではなく、
まさしく帯にあるとおりの
「へんてこな食べ物をめぐる
壮大な時間の無駄!」であり、
食に関するまったくあたらしいジャンルをひらいたともいえる。
いろいろためしてみてのコメントで、
よくあるのが「普通においしい」だ。
ほんとに「普通においし」かったのだろうけど、
なんだか残念そうなひびきもふくんでいる。
わたしがはじめてべつやくさんの作品にであったのは、
「スパゲッティにソース味がないのは何でだ」という記事だった。
あまりそういうことは疑問におもわないけど、
べつやくさんの脳はそうした問題にすぐスイッチがはいる。
そして、はじめにおもいついた疑問がかたづいても、
そのさきへさらに工夫をひろげていく。
「スパゲッティのソース味問題」については、
スパゲティのメンでヤキソバをつくり、
ヤキソバのメンでナポリタンをつくり、
もしかしたらいけるかも、と
野菜ジュースでつくったインスタントラーメンをためしている。
あらゆるバリエーションをためそうとする熱意は
探検家としての資質をかんじる。
なによりもすごいのは、料理の本をみると、
たいていはいく品かつくってみたくなるのに、
この本はまっったくそういう気がおこらなかったことだ。
ここまで実用をはなれられたのは、
完全に研究の対象として食にむかったからで、
べつやくさんには「おいしく」しようという意図が
すこしもなかった。
「おいしく」はならないけれど、
よむひとをしあわせにする、
『ばかごはん』はそんなすてきな本だ。
料理のレパートリーをふやそうとなどかんがえず、
純粋に学問としての購入をすすめたい。
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