2014年06月21日

ギリシャ戦は「ひきわけが最良の結果」という記事について

きのうのギリシャ戦について、
「狙い通りの引き分け、日本にとって最良の結果」という記事がのった。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/miamor10/article/22
グループCの4チームをかち点とモチベーションで分析してみると、
あの試合にかつよりも、ひきわけの方が
決勝トーナメントにすすむ確率がたかいというのだ。
有名なジャンダルメリーの法則であり、
グループが1強3弱(中?)で構成されるときに ごくまれにおこる現象だ、
というのはウソで、
わたしはまったく気づかなかった。
日本にとっても、ギリシャにとっても
ひきわけが最善な試合だったのだ。

それにしてもビミョーな情報である。
ひきわけが最善であることは、
関係者はもちろんあらかじめしっていたはずだ。
しかしひきわけは、ねらってできるものではないし、
ギリシャ戦での日本はひきわけねらいなんて
いえる状況ではなかった。
だれかがこの数字のマジックを にぎりつぶすことにきめたのだ。

協会や監督が、ひきわけをチームにもとめるわけにはいかない。
ロンドンオリンピックのとき、佐々木則夫監督が、
グループの2位通過をちらっとにおわせただけで
ものすごくたたかれた。
日本人の美意識において、全力をかたむけないたたかい方は
うけいれがたいものがあり、
あらかじめひきわけをねらって試合にのぞんだことがわかれば、
かなりの批判をあびただろう。
それでなくてもまえの試合は日本らしいサッカーができなくて
批判をあびていたところなのだ。
2戦目にひきわけねらいの ひいてまもるサッカーをすれば、
かりにひきわけが最善であったとしても
これまでの4年間はなんだったのだ、とたたかれるだろう。

メディアはひきわけという結果について、
いちように「首の皮いちまいでつながった」
という表現をしていた(わたしもそうおもった)。
そういうことにしておかないと、
なにかとややこしいはなしになるからだろう。
ひきわけがベストなことをしっていても、
それを公言すれば試合のはいり方も評価もむつかしくなる。
ここは、「しらなかった」ことにするのが
もっとも無難な選択だった。

ひきわけでよかったからといって、
もしそれをしっていたとしても
簡単な試合だったわけではない。
ひきわけねらいは、非常にむつかしい選択だ。
まければグループリーグの敗退がきまるし、
「せめながら」点をいれずに90分をおえるのは
よほど実力差がなければできないのではないか。
日本はそのミッション・インポッシブルをやりとげ
真剣にゴールをねらいながら、みごとにひきわけにもちこんだ。

いまおもえば、ギリシャはあきらかにひきわけをねらっていた。
はやめに退場者をだしたこともあり、
まもりにきりかえたのはいかにも自然な判断にみえる。
おたがいにひきわけがいちばんだから、
テキトーにながそう、というわけにいかず、
それでもギリシャはじょうずに90分をたたかいぬいた。

日本は全力をつくしたうえで、結果としてひきわけた。
「ひきわけにおわった」のではなく、
じつは「ひきわけをかちとった」といえる。
だれかがシナリオをかいたみたいに、
おわってみれば日本にとっていい結果だった。
現実はときにおもわぬ状況をまねく。
真剣にたたかったおかげで、
なんとか「首の皮いちまいでつながった」。

ひかえ選手を主体にしたときのコロンビアが
どれだけレベルをさげるかはわからない。
いいところをだそうとひかえ選手のモチベーションはたかいだろうし、
つかれがたまっていないフレッシュな選手たちのほうが
日本にとってあんがいやりにくい相手かもしれない。
それでも状況としては、日本のとっていちばん都合のいいものになった。
とにかく日本はコロンビアにかつしかない。
そしてギリシャがコートジボワールにひくいスコアーでかつこと。
かち点の計算をしてると、性格がわるくなりそうだ。

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posted by カルピス at 14:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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