本のまんなかくらいでわたしはやっと気づいた。
これは大河小説だ。
でも、それにしてはずいぶんかるい。
昭和初期から平成にかけて、日本社会のうごきを背景に、
ある日本人家族のうつりかわりをたどる。
ものがたりがすごく地味にはじまり、
とてもそんなおおきな小説とはおもえなかったので、
さほど期待せず、なんとなくよみすすめていた。
20代の青年、良嗣の家は、祖父の代から「翡翠飯店」をいとなんでいる。
家で療養中だった祖父がある日なくなり、
そのせいか祖母はすっかりげんきをなくしてしまった。
口をひらけば「帰りたい」という。
ボケたのかと良嗣は心配したけど、もしかしたら
祖母がわかいころすごした満州へ
かえりたいといっていのかもしれないとおもいついた。
祖母はそこで祖父とであい、戦争がおわってから日本にひきあげてきたという。
良嗣は旧満州への旅をおもいつき、祖母をさそって大連へと出発する。
ものがたりは、旧満州をおとずれた良嗣と祖母のうごき、
そして祖父と祖母が満州でスタートさせた藤代家の家族史と、
ふたつの時間軸でかたられていく。
満州からひきあげると、祖父たちは東京で「翡翠飯店」をはじめる。
日本の経済成長にものっかって、
店はなんとかたべていけるくらいに繁盛する。
まずしい生活ながら、やがて家にテレビがはいり、
世間では浅間山荘事件事件がおき、
茶の間でピンクレディーのものまねをする。
時代の波にもまれながら
藤代家の3世代は成長し、家族をつくり 子をそだててゆく。
昭和から平成へと、ときがうつっても、家族のひとりひとりが、
お約束のようにまえの世代がたどってきた歴史をくりかえす。
良嗣は、自分の家がまわりとはどこかちがう へんな家族であることをかんじていた。
仕事をやめてもとくになにかいわれるわけでもないし、
ひきこもりのおじの存在も、なんとなくみとめられている。
旧満州をたずねたことで、良嗣は祖父母だけでなく、
両親についてもすこしずつしるようになる。
母が一流大学を卒業していたこと、
父はマンガ家をめざしていたこと、
ふたりが恋愛結婚だったこと、
ひきこもりのおじがむかしは教師だったこと。
家族間のむすびつきがつよいとか、
おたがいがあいてをおもいやってくらしているとか、
そんなきれいごとはいっさいなくても、
これはこれでわるくない 家族のありかたに良嗣はおもえてくる。
たかい理想にむけてつきすすんでいるひとたちではない。
親世代は自分たちがにげてばかりいたやましさがあるし、
子どもたちにしても、仕事にやる気がなかったり、
学生運動にかかわったり、仕事をしないで自分さがしをしたり、
ろくでもない男にひっかかったりと、
まともなのがいないのに、「翡翠飯店」には不思議な求心力がある。
店が繁盛しているうちはなんとかなるし、
かたむいたとしても、「翡翠飯店」はすがたをかえて再スタートする。
家族のむすびつきについてかかれているわけではないのに、
全体としては家族小説というよりない。
477ページと、けしてうすくはないが、
70年にわたるものがたりなのだから、
角田さんはもっと壮大な大河小説にすることもできたはずだ。
もったいないような気もするけど、
豊富な材料を角田さんらしく料理して
おもくなりすぎないようにしあげたとみるべきだろうか。
藤代家の歴史を淡々とおいながら、
さいごまでおもしろくよませる角田さんのちからに いつもながら感心する。
日本の近代史でもあり、藤代家の家族史でもあり、
家族とはなにかについてかんがえる本でもあった。
家族とはなにか。
もちろんこたえなんかない。
なにかの目的のためにあつまった集団ではないのだから
どんなかたちでもいいといえる。
藤代家の方向性は祖父たちがしめした。
根となるものなどもたなくてもいい。
自分のことしかかんがえないときがあってもいい。
いきあたりばったりでもいい。
それでもバラバラにならなかったのは、
祖父たちの世界観がおおきな影響をあたえている。
にげてばかりでも、ひとのやくにたたなくてもいい。
ただ生きていければ、それでいい。
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