幼稚園にかよう子をもつ母親たちの「お受験」もの。
4人の専業主婦と、「お受験」をくぐりぬけてきた元ママの計5人が
おもな登場人物だ。
ものがたりのはじめでは、
4人の主婦が、おたがいにいいママ友をもててよかった、とおもっている。
自分とにたような価値観をもつママ友は、
おたがいに気のやすまる存在だ。
でもそのうちに、「お受験」をめぐって
だんだんと気もちのすれちがいがでてくる。
「お受験」をさせるか、させないか、
どこの学校がいいか、
そのためにはどこの教室にかよって 準備をしたほうがいいのか。
体験レッスンをうけたいけど、ほかのひとにはしらせたくない、などなど。
このすれちがいから、疑心暗鬼がうまれ、
5人とも精神的につらいところにおいこまれていく。
5人の性格が複雑にからみあい、
せまい世界へおいこまれていくようすがおそろしい。
それまであこがれていた生活をおいもとめるだけでは
しあわせでいられないことに やがて全員が気づくことになる。
「お受験」に関心のないわたしにとって、
そうした環境でいきる親たちを たいへんだとはおもうものの、
正直なところ、どうでもいいようなことに神経をつかう
彼女たちの価値観が理解できない。
5人の女性とも専業主婦で、夫はほとんど子そだてに口をださない。
女性たちは、けっきょくヒマな時間がおおすぎるから
なやみをかかえてしまうだけにわたしはおもえる。
高級マンションにすみ、部屋のなかは まるでグラビアでみた写真みたいにととのっており、
ブランドものの服に高級外車と、絵にかいたようなくらし。
子どもはもちろん有名な学校にかよっている。
こういうくらしに当然のものとしてなじめるひとはいいけれど、
以前からのあこがれとしてたどりついたひとは、
あとになってゆがみがでてくる。
しあわせだといいきかせてきた自分にたいする疑問だったり、
子どもが精神的にダメージをうけていたり。
わたしのことでいうと、「お受験」にまったく縁のない生活をおくってきた。
自分が子どものときにもそうだったし、
自分の子どもについても「お受験」を体験しなかった。
これは、ちいさな町にくらしているという環境と、
収入によって規定される階層のちがいからくるのだろう。
私立にするか、国立にするか、公立にするか、
わたしが子どものときも、わたしの子どものときも、
そもそもほとんど選択肢がない。
その「ほとんどない」なかで、
いちぶの階層にぞくするひとたちは、
それなりに「お受験」を体験されたのではないか。
わたしには気がつかなかっただけで、
わたしのまわりにも「お受験」があったのだろう。
「お受験」のことをきけば、だれだってそんなに無理をしなくても、
とおもうにちがいない。
それなのに、おおくのひとが「お受験」にからめとられてしまうのは、
よりうえをめざそうとする親たちの価値観が一般的なものだからだ。
わたしとしても、自分には関係ない、とおもっていても、
配偶者が「お受験」に価値をみいだしてしまったら、
父親としてなにがしかの決断をせまられる。
わたしがいちども子どもの進路について心配したことがなかったのは、
わたしの信念というよりただのなりゆきにちかい。
ひごろ町でみかけるお母さんとおさない子どもたちは、
こんなにも どうでもいいようなプレッシャーにさらされているのか。
ヨーロッパだけでなく、日本も階級社会で、なんてよくいうけど、
めざせばうえにあがれる柔軟な構造は、きびしい階級社会とはいわないだろう。
へたに選択肢がゆたかなだけにあきらめがつかず、
自分にふさわしくないうえの階級を夢みてしまう。
そのひずみが、やがて子どもに、そしてけっきょくは自分にもおよんでくる。
自分がうえのくらしにあがろうと努力するのはいいとしても、
子どももまたうえの階級にあげようと「お受験」をセットでかんがえると、
子どもはたいへんだ。
ちいさいころは、いろんなことができるようになりやすいので、
商売として、あるいは産業としてつけこまれてしまう。
わたしのむすこがかよった保育園は、よみ・かきをおしえない方針だった。
わたしは、それでいいとおもった。
「お受験」だけの小説ではないのだろう。
目的としてめざしてきたことが、やがて自分の意識をはなれ、
状況にふりまわされていくようになる。
それまでうたがったことのない自分の価値観が
どれだけしっかりとした根をもたない ふたしかなものかに気づく。
だれにも自分を完璧にコントロールすることなど できない。
自分たちがめざしてきたゆたかなくらしとはなんだったのか。
角田光代さんは、本のさいしょに登場させた5人のその後を、
最後にぜんぶひっくりかえしてしまった。
そのたたみかけが角田さんならではのものとはいえ、
わたしたちの生活は それぐらいこころもとないものなのだ。
夫たちは、みんなふつう男だったのに、ほとんど存在感がなく、
彼女たちのちからになれなかった。
しかし、ふつうの男だったからこそ、家族はこわれずにすんだのかもしれない。
現実はもっと悲惨なのだろうか。
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