赤木かん子さんの『今こそ読みたい児童文学100』に
紹介されていた本だ。
「7人の兄弟と4人の姉妹の家族が、
ニューハンプシャー州のみんなが生まれた農場で暮らしていた。
それが、いつか3人の兄弟だけになった」
なんてかわったかきだしだろう。
ささいなことで、ひとがあっけなく死んでいく。
作者は、どんな意図があって、こんなにもたやすく
ひとをころしてしまうのか。
・姉妹の中のウイニフレッドは、
マンチェスターで車のセールスをしている男と結婚したが、
農場をはなれてから2年とたたないうちに、子どももうまず死んだ。
・その次の年に、ジュリアとフェースが、しょう紅熱で死んだ。
・(ピアノをじょうずにひく子)エバンは卒業せずに死んだ。19歳だった。
・ジョセフは10歳のとき、ガラガラ蛇にかまれ、
それから3日しか生きていなかった。
・モージズとレーチェルは古い納屋がやけおちたとき、その下じきになった。
・ナサニエルは猟銃で自殺した。
・そしてアモス、アブラハム、ジョンの3人だけになった。
両親はどうなったのか。
・かあさんは、ジョンが生まれたときに死んだ。
・とうさんは、かあさんが死んで3年後、猟銃で自殺した。
そして、ジョンの2人の兄も つぎつぎと死んでいく。
・つりが好きなアブラハムは、つり針が手のひらにひっかかり、
そこがはれてきて、2日間の錯乱状態から意識はもどらずに、死んだ。
・アモスは乳しぼりのときに乳牛に胸をけられ、1日もしないうちに死んだ。
・それで、ジョンだけになった。
ひとりで生きることになったジョンは、
兄弟たちの死をあまりかなしんでいないようにみえる。
山での生活は、もともと死がすぐそばにあった。
アメリカのニューハンプシャー州が舞台なのに、
文明のおよばない まるで100年まえのアフリカみたいだ。
へびにかまれれば死ぬしかないし、牛にけられただけでも死んでしまう。
それにしてもジョン以外の、両親・兄・姉たち13人が 全員死んでしまうなんて、
作者はなんとおもいきった世界をつくったのだろう。
兄たちが死んでからも、これまでどおり日課にそってはたらくジョンのもとに、
ある日、1匹のおおきな犬がやってくる。
ジョンは犬をサンと名づけ、
農場のこと、なくなった兄弟たちのことを
サンにかたりかけるようになった。
サンとはなすうちに ジョンはかつて存在した肉親たちをおもいだし、
なぜ自分ひとりが生きのこったのかをかんがえるようになる。
身ぢかな存在である死を運命としてうけいれ、
かわききった精神で生きているようにみえるジョンも、
おおすぎる死を ただ淡々とうけいれているわけではなかった。
サンにはなしをするのは、無意識の領域にちらばっている死を
適切な場所におさめる過程で必要だった。
サンがガラガラヘビにかまれ、からだじゅうがはれあがって
いまにも息をひきとるのでは、とおもえたとき、
ジョンは「神さま!」とさけんだ。
「ジョンはどうして、声をあげてそんなことばをいう気になったのか、
自分でもわからなかった。
ジョンはいままでに、死とつきあいすぎたと思っている。
そもそも生まれるときから、それでかあさんを殺しているのだ。
死には、なじみすぎるほどなじんでいる。
この犬のために、『神さま』なんて声にだしていうのは、
やめたほうがいい。
神は生もかんたんにあたえるが、
同じように死をもかんたんにあたえてしまう。
ちくしょう、兄きや姉きがそうじゃないか、
とうさんもかあさんもそうだった。
みんな死んでしまった。
死ぬということも、生きることと同じくらい、あたりまえのことだ。
この犬も、破裂するまで、はれあがってしまうだろう。
そして死んでいくんだ。
『ちがう!そんなことがあるもんか!
サンはおれを守ろうとして、蛇にかみつかれたんだ』」
ジョンは、なき声をあげてよこたわるサンに ずっとはなしかける。
サンがいなければ、ジョンは生きるしあわせや
愛するよろこびことをしらなかったのではないか。
わたしは、なんにちも食事がとれず、やせてきたピピをひざのうえにのせて
この場面をよむ。
ピピはげんきになってくれるだろうか。
この本をよんでいるあいだじゅう、死がすぐそこにある。
なにかのはずみで死んでいくのが、しかたのない世界だ。
現代的な医療にたすけられないかぎり、
ひとはいまでもかんたんに死んでしまうし、
動物たちはもっとリアルに死ととなりあわせで生きている。
ピピの運命もわたしの生も、自分ではきめられないところにある。
生がほとんんど価値をもたなかったサンのくらしに、
サンがくわわることで活気がうまれる。
それまでなんとおもわなかった死を、ジョンはうけいれられなくなっている。
しかし、だから以前のくらしは不幸だった、と
いいきれないのがこの本のかわったところだ。
ひとが死んでいきながら、ジョンはあんがいこころやすらかに生きていた。
ジョンは、大家族でくらしていたころの記憶がほとんどのこっておらず、
家族がだんだんと死んでいくのを当然のようにうけとめてきた。
家族が死んだから不幸だと、ジョンはおもっていない。
サンがくるまえも、きてからも、
そして自分がこの世をさることになっても、
ジョンの精神にほとんどなみかぜはたたないようにみえる。
タイトルの『野性に生きるもの』は、
野性とともにあろうとする ジョンとサンの、生きる姿勢をあらわしている。
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