高野秀行さんと角幡唯介さん。
早稲田大学探検部出身の2人のライターによる対談だ。
高野さんはだいすきな作家とはいえ、
むかしばなしをなつかしまれてもなー、とこれまで本書を敬遠していた。
よんでみると、探検論・文章論など、いろいろな要素がつまっていて、
すごくおもしろい。
章だては以下のとおり。
・第1章 僕たちが探検家になるまで
・第2章 早稲田大学探検部
・第3章 作家として生きること
・第4章 作品を語る
・第5章 探検の現場
・第6章 探検ノンフィクションとは何か
おもしろかったところを紹介してみる。
高野さんといえば、現役の学生だったころに、
探検隊を組織してコンゴの湖にすむ(といわれている)
ムベンベという未知生物をさがしにいったひとだ
(『幻獣ムベンベを追え』集英社文庫)。
わたしは、その正当法にのっとった、りっぱな探検ぶりに
ふかく感心したのだけど、
でもまあ、ふつうのひとは、
いるかどうかわからない生物をさがしに
コンゴまででかけたりしない。
それから数年後、探検部の後輩が 千葉の松戸にすむといわれている
マツドドンをさがすといいだしたという。
コンゴまででかけた高野さんが、その後輩にむかって
「そんなもんいるわけねえだろう」といったら、
「高野さんにそんなこと言われたくない」といいあいになったそうだ。
高野さんはそれにまた「常識で考えろ」っていいかえすのだから、
まわりできいていたら、すごくおかしなやりとりだったろう。
たしかに高野さんに「そんなこと言われたく」ないし、
高野さんの「常識で考えろ」はものすごくシュールだ。
第4章の「作品を語る」では
「行為自体の完成度と作品のおもしろさを一致させるのは
なかなか難しい」(角幡)
というはなしがでる。
「入念に準備して行くと、たいていのことに驚けなくなってしまう。
『ああ、聞いたとおりだ』というだけで。(中略)
(かといって)知らないで行くっていうことは、
レベルが低い状態なわけだから、旅行記としてはいいかもしれないけど、
ノンフィクションとしてのレベルは高くならない」(高野)
これは、本書のテーマでもあり、
そのためにおふたりがどんな工夫をこらしているかを
しることができる。
第6章の「探検ノンフィクションとは何か」では
文章についてのはなしが興味ぶかかった。
おふたりとも「テーマじゃなくて文章で勝負したい」
という気もちがつよいのだという。
めずらしい場所へゆき、かわったことをしていると、
文章より素材がおもしろいからかけるんだ、とおもわれがちで、
それがすごくむなしいと。
「なにを言われていちばん嬉しいかというと、
やっぱり『文章がおもしろい』と言われることなんですよ。
『すごいことやってるね』と言われても別に嬉しくない」(角幡)
は、わたしにとってすごく意外なはなしだった。
わたしは角幡さんの文章をうまいとはおもうけど、
やっている行為についてはあまり評価していない。
たいしたことしてないのに、もっともらしくかくのがうまい、というのが
これまで角幡さんの本(『空白の五マイル』『雪男は向こうからやって来た』『アグルーカの行方』『探検家、36歳の憂鬱』)をよんできた感想だ。
角幡さんは、それでもいいのだろうか。
「俺だって本当に話したいのは文章の話なんだよ。
かといって小説家とはまったく話が合わないし、(中略)
ジャーナリストって一般に文章にこだわりがないから、
文章の話にはならないんだよね」(高野)
これも意外だった。
ジャーナリストが文章にこだわらないで、
だれが文章にこだわるのだ。
でも、こなれない文章をよんだりすると、
「文章にこだわらない」ひとがおおいという指摘は たしかにうなづける。
まえに『日本語の作文技術』(本多勝一氏)を検索したことがあり、
有名な本なので、さすがにたくさんレビューがよせられていた。
ほとんどのひとが絶讃していて、
「ただしい文章をかくコツがわかった」
「これからは気をつけて文章をかこう」
と共感しているのだけど、しかしそのへたくそさにおどろきもした。
「あなたがよんだのは、文章についての本ではなかったのか」
と本気でたずねたくなる。
世の中、文章についてこだわるひとばかりではないのだ。
ジャーナリストでさえそうなのは、なんだかがっかりだけど。
ほかにも、チャンドラーの文体を意識して『ムベンベ』をかいたとか、
バカにされるし かっこわるいけど、旅さきではウエストバッグがいちばんとか、
これまでしらなかった高野さんのひととなりをしることができる。
ノートとメモのつかいわけなど、取材道具や取材方法まで内容は多岐にわたる。
探検部OBによるオタ話ではないので、安心して、というか、
すごくおすすめできる1冊だ。
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