「100日で1つを成し遂げようとするより、
1日でできることを100日積み重ねる」
http://jmatsuzaki.com/archives/13870
を提案されている。
「脱・完璧主義」のほうが効果的、というかんがえ方で、
それに刺激をうけて、「1日でできることを100日積み重ねる」を
自分でもやりはじめたひとがでているという。
たとえばtsukuru0704氏は
「今まで僕は、1日に成し遂げるもののハードルを、とても高いものにしていました。 それこそ初めて覚えるものであれば、かなりの時間を擁するものを、毎日続けようとしていた訳です。 (1日1時間、と決めていましが、それでも長いと今では思います。)
なので、ハードルを一気に下げました。
例えば、1日1回フォトショを開いて、1つの動作を再確認する、でもいいし
イラレで、ベジェ曲線で簡単な曲線を描く。
みたいな」
と決心をかたっている。
http://tsukurusumika.com/author/tsukuru0704/
わたしがひかれたのは、
「ハードルを一気に下げ」るかんがえ方だ。
こういうとりくみでは、どうしてもよくばってしまい
三日坊主におわりがちになる。
三日坊主でもいいから、その三日を何回もつづけたらいい、
というひともいるけど、
できればおなじとりくみ100回のほうが、
じっさいに効果を体感できそうな気がする。
100回という数字は、たしかにうまい設定だ。
1000回つづけるのはたいへんすぎるし、10回ではたいした効果はないだろう。
とはいえ100回だってそうかんたんではないので、
「ハードルを一気にさげる」工夫が必要になる。
わたしは、こういうはなしをきくと、
今西錦司氏のいわれる
「チリはいくらつもってもチリ」がきまって頭にうかぶ。
もちろんこれは「チリもつもれば山となる」のアンチテーゼであり、
コツコツやりさえすれば なんとかなるとおもうのは あまいですよ、と
今西氏はつきはなしているのだ。
日常生活において、なにもつみあげずに一発逆転はありえないと、
理屈や経験ではわかっている。
でも、努力をつみかさねることが、
なんだか道徳的に「えらい」といわれているようで、
今西氏の威をかりて「チリはいくらつもってもチリ」と抵抗したくなる。
松崎氏の提案は「脱・完璧主義」をいわれているのであり、
努力のつみかさねとは関係がない。
また、できないことを100回つづけてできるようになるのではなく、
1日でできることを100日つづけるのだから、
1日でやることはとくにむつかしいわけではない。
できることをやるのだから、自信がつくし、
つぎの活動のスイッチにもなりやすい。
また、tsukuru0704氏の
「ハードルを一気にさげ」る、という発見もすばらしいとおもう。
ほんとうに、ハードルはひくすぎるぐらいがちょうどいいのだ。
やっているうちに、いろんなことがみえてくるから、
やりながら修正したり、つぎの100回にいかせばいい。
やらないでおいて、ああだこうだいうのがいちばんよくない。
といいながら、いちにちのほんのわずかな時間、たとえ10分でも、
つみかさねたら確実な成果を得られるというのは
悪魔のささやきにもおもえてくる。
そんなにオリコーちゃんでいいのか、という
べつの問題がおきてくるのだ。
やはりわたしは「チリはいくらつもってもチリ」といいたくなる人間なのだろう。
立派すぎず、日常性からはなれ、
できるだけなんのためにもならず、
仕事にいかせないことをえらんだほうがよく、
でも、おもしろくて、10分くらいでできること。
そんなとりくみをみつけて、わたしもブログにかいてみたい。
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