本書は「日本ニューギニア探検隊2001」の記録だ。
ヨットで日本を出発し、ニューギニアについてからは
ヨットとゴムボートで川をさかのぼり、
オセアニアの最高峰カールステンツ(5030m)北壁の新ルートを
ロッククライミングでのぼるという壮大な計画。
著者の峠恵子さんは、それまで山もヨットも経験のない、探検の素人だった。
雑誌にのった隊員募集の記事をみて応募し、全行程に隊員として参加している。
日記風に探検隊のうごきが記録されている。
日記だけでわかりにくいところは、
べつにくわしい説明がはいるので、すんなりよめる。
しかし、この探検隊はけっきょくなにがやりたかったのだろう。
もし北壁の新ルートが最優先課題だとしたら、
それなりの準備があっただろうし、
そもそも公募して素人の隊員を採用するのもよくわからない。
日本からヨットでニューギニアへいったのは なぜだろう。
この探検隊は、いきあたりばったりのうごきがおおい。
独立をもとめるゲリラによる影響で、カールステンツにとりつくことができず、
計画をちかくの山に変更し、しかしそこも地元のひとたちにみとめられず、
別の山にまた目標をかえ、そこはなんとか登頂に成功したものの、
そのあとは計画になかったタスマニアン・タイガーとよばれる謎の野生動物をさがすことになりと、もうぶれまくっている。
かるいのりでコロコロ目標をかえるのは
本人たちがよければべつにいいのだけれど、
峠さんの記録には「決意していた」「諦めきれなかった」等の記述がいたるところにあり、
どこまでつよい気もちがあったのか よくわからない。
「私たちが目指すのは」なんて記述をみると、
隊員全員が統一した意思で活動をすすめているようにもみえるけど
(本来それがあたりまえ)、
そうした本気さは、本書からよみとれないのだ。
それに、いかに峠さんが探検の成功をのぞんだとしても、
山の経験がないひとに、戦力として隊員のはたらきを期待するのは無理がある。
峠さんの日記では、隊長との衝突がなんども記録されており、
よくこんな探検隊が無事に日本までもどってこれたとおどろかされる。
探検だからといって、まじめなことばかりいう必要はなく、
こんなすごいことをやって、ちゃんと生きてかえれたのだから
その臨機応変さというか、柔軟性を評価したほうがいいのかもしれない。
探検の内容は一流であり、探検ゴッコというわけにはいかない。
もしこの記録がかかれているとおりであるとしたら、
よくこれだけのことをやりとげたと、峠さんの実行力をたかく評価できる。
ちなみに、本書に登場する「ユースケ」は、
先日このブログでとりあげた『地図のない場所で眠りたい』で
高野さんと対談していた角幡唯介さんだ。
角幡さんが早稲田大学の探検部に所属していたころ、
この「日本ニューギニア探検隊2001」に参加されている。
角幡さんによると挫折の体験であまりおもいだしたくないといい、
たしかに「ユースケ」は本書でとくにめだった活躍をしていない。
峠さんの記録では、ユースケやとちゅうで日本にかえったコーちゃん、
それに隊長の藤原さんについても、あまりこまかな紹介はなく、
探検隊の準備についてもほとんどかかれていないので、
よけいに隊員たちがどんな熱意でこの計画にとりくんだのか
つたわってこないのだろう。
本書になんどか登場した
「ツナ缶に醤油をたらした『ぶっかけご飯』」
がおいしそうだったのでためしてみた。
そんなに感激するほどのごちそうとはおもえない。
これをおいしくたべられる峠さんの感性をたのもしくおもった。
探検の素人なのに、こんな探検隊に参加して、
とちゅうでやめずに日本までかえってくるし、
文章もいやみがなくてスラスラよめるし、
ツナ缶のぶっかけごはんを夢のようなごちそうみたいにいう。
峠恵子さんは、こんなめちゃくちゃな探検隊でなく、
もうすこしまっとうな隊に参加していたら、
しっかりした成果をあげる探検家になれたのではないか。
隊の方針はゆれっぱなしなのに、すごい行動力でどんどんさきへすすんでいく。
あまりこれまでの探検になかったタイプの本だ。
めちゃくちゃだけど実力のある隊長と、
探検の素人というくみあわせがよかったのだろうか。
おもしろいけど、動機においてわからないことのおおい、
かわった探検記だ。
スポンサードリンク