きのうはかきそびれたけれど、
『本の雑誌』の特集、「日記は読み物である!」のなかで、
「べつやくれい」さんは宮田珠己さんの『東南アジア四次元日記』も
すきな日記本として紹介している。
「電車の中で読もうとして、はじめのほうの写真を見ただけでもうダメだった」とある。
宮田さんの作品は、この本にかぎらず
「ひとまえでよまないこと」の注意がきがそえられていることがおおい。
もちろんそれだけおもしろいとほめているのだけど、
宮田さんの本だけでなく、こういういい方で
おもしろさを強調してある「解説」などをよむと、
つい反発をかんじてしまう。
ひとまえでよめないほど、わらいをこらえるのに苦労した経験がわたしにはなく、
こういうおおげさなほめ方があまりすきではない。
どこにわらいのツボがあるかは 個人的な事情によってそれぞれちがいがある。
余計なお世話なのだ。
でもまあ、と家にあった『東南アジア四次元日記』をひっぱりだしてみた。
宮田さんの本なので、おもしろかったにはちがいないはずだけど、
まえによんだときの記憶がほとんどない。
不覚にも、というか、解説どおりというか、
ほんとうにおかしかった。
露骨にわらいをとろうとする文章をよむと、
自分だけでなにをもりあがってるのかとしらけたり、
わざとらしさについていけなかったりするけど、
宮田さんの文章は、そのおとしどころがすごく微妙で、
「しつこい」「わざとらしい」のちょっと手前で
いつのまにかべつのむきへずらしてしまう。
香港のタイガーバームガーデンへ見学へいったとき、
宮田さんは上半身が裸で、腰布だけをまいているセメント像をみかける。
その男は、頭にカニを、しかも上下さかさまにかぶっていたそうだ。
「全身が人の形をしたカニならばカニバブラーの可能性もあるが、
頭にカニを突っ込んであるだけなので、それほどのものではない。
せめてカニが逆さでなければ、カニの精かと考えることもできるのだが、
カニの精だとしても、それじゃあ誰なんだ」
「それほどのものではない」がおかしい。
なにが「それほどのものではない」なのか。
つづく「カニの精かと考えることもできるのだが、
カニの精だとしても、それじゃあ誰なんだ」
をなんどかよみかえしていたら、
グフグフっとわらいがこみあげてきた。
「カニの精だとしても、それじゃあ誰なんだ」。
「それじゃあ誰なんだ」といわれてもこまる。こまるけど、ほんとにおかしい。
これはたしかに電車のなかではよまないほうがいいだろう。
わたしがタイガーバームガーデンへいって、
このカニ男をみかけたとしても、とてもカニの精までは頭がまわらない。
カニ男の姿がおかしいのではなく、
そこから連想してしまう宮田さんのおもいつきが 特殊すぎるのだ。
『東南アジア四次元日記』は「日記」をなのっているけれど、
内容はごくふつうの旅行記であり、
宮田さんが会社をやめてから数ヶ月にわたって
東南アジアの国々を旅行をしたときのようすがまとめられている。
そのコースをみると、香港からベトナムにはいり、
いったんカンボジアをまわってからまたベトナムにもどり、
ベトナム中部のフエからラオスにはいって・・・と、
わたしがこんどやろうとおもっている旅行とかさなる部分がおおい。
1997年に出版された本なので、こまかな状況は参考にならないとしても、
全体の雰囲気、たとえばわたしもいったことのある
ベトナムのムイビエンどおりなどは、10年たってもそうかわっておらず、
よんでいてなつかしかった。
宮田さんみたいに肩のちからをぬいた旅行がわたしの理想でもある。
この本をよむと、旅行のたのしさはお金やコースによってきまるものではなく、
本人のあそびごころしだいであることがわかる。
本書の解説は「本の雑誌社」の杉江さんだ。
杉江さんによると、この本は 数ある文学賞のなかで、
いちばん名のしれていないであろう
「酒飲み書店員大賞」の3回目の受賞作品であることがあかされている。
候補作に『ツ、イ、ラ、ク』・『後宮小説』・『明るい悩み相談室その1』
などの強敵があるなかで本書がえらばれたのは、まことにめでたいことであった。
しかし、受賞がきまり、これからうりだそうとするときに、
出版社で品ぎれになっていて、うろうにも うれなかったというから、
宮田さんらしい残念な逸話である。
杉江さんも、解説のさいごを 例によって
「ほんとうに電車のなかでは読まないほうがいい」とむすんでいる。
解説にかかれても、電車でよんでしまったひとは どうしようもないとおもうけど。
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