2014年10月03日

「101の理由があってね」と「101の理由があってだな」のあいだによこたわるふかい谷

アマゾンに注文していた
『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』
(ジェーン=スー・ポプラ社)がとどく。
とどいたことをパソコンの日記にかきこむとき、うっかり
「101の理由があってね」とうちこんでいた。
「あってね」だと ぜんぜんかんじがちがってくる。
すごくかわいい。プロポーズしたくなるくらいかわいい。
「101の理由があるんだ」でも
わたしとしてはわるくない。
ひるがえって、「101の理由があってだな」なんていう女性には、
あまりちかづかないほうがいいよう気がする。
この本が主張する「理由」をつたえるためには、
当然ながら「だな」でなければならなかったわけで、
日本語のゆたかな表現力におどろかされる
(「そんなにびっくりしなさんな」とジェーン=スーさんはいうけれど)。

柴田元幸さんの『佐藤君と柴田くん』(新潮文庫)に、
『タッチ』のことばづかいが分析されていた。

「足の爪を切っている達也に向かって
『ああ、下手クソだなァ。かして。南が切ってあげる。・・・気持ちいいでしょ?』
これが、青春フェミニン体。
『下手くそね。南が切ってあげるわ』
では、二人の関係が全然ちがってしまう」

日本語ならではのビミョーなニュアンスに感心するいっぽう、
では、外国語だとそこらへんをどうあつかっているのかが
しりたくなってくる。
日本語にあるくらいだから、
外国語でもことばづかいによって
ちがうニュアンスをつたえるとかんがえたほうが自然だろう。
わたしたちがよんでいる翻訳された本は、そうした全体の雰囲気が
できるだけ日本の読者につたわるよう 配慮された日本語になっているはずだ。
たとえばライ麦のホールデンくんがはなすホールデン語は、
原文を日本語にうつすときに、ホールデンくんの雰囲気がつたわるよう
野崎孝さん、そして村上春樹さんが工夫されている。
これまで翻訳本にジェーン=スーさんのような文体がなかったのは、
世界的にあまり例のないはなし方だからかもしれない。
アラフォーの独身女性は世界的にテリトリーをひろげているはずで、
そのなかで日本語の本が先頭をきったのは自慢できる。

外国人にジェーン=スー語のニュアンスをつたえるとき、
たとえば日本語教室で、
「101の理由があってだな」はこんな意味あいをふくんでいて、それが
「101の理由があってね」だとカクカクシカジカなんです、と
説明できるだろうか。
ここらへんにくると、外国語についてのセンスよりも、
アラフォー女子、しかも未婚のプロという種族への理解がもとめられてきそうだ。
そうかんがえると『SEX AND THE CITY』にでてくる4人グループは、
ジェーン=スーさんみたいなことばをはなしていたのかもしれない。
もちろん かきことばとはなしことばは いっしょではなく、
「理由があってだな」なんて 女性が口にしないことは
いくらわたしでもしっているけれど、
そうはいっても 未婚のプロのアラフォーが、
ほかの女性とおなじことばをしゃべるわけがない。
国籍よりも生態系によって ことばづかいは独自の発展をみせるはずだ
(あくまでも気がするだけです)。

もういちど日本語教室のはなしにもどると、
上級者になれば 自分ではつかわなくても、
いわれたとき、あるいはよんだときに そのニュアンスを理解できなければならず、
教室の先生がどれだけ適切な説明をしているのか しりたくなってくる。
ジェーン=スー語は、日本語としてこれまでなかったわけではないけれど、
アラフォーの女性が口にすることばではなかった。
つかう側の性別や年齢がちがってくると、
ことばの意味もまた もともとあったところからはなれてくる。
女性がはなす「理由があってだな」は、
アラフォー女子の、しかも未婚のプロと、
条件をすごく限定することで 生きかえった文体である。
「ふるきをたずねて あたらしきをしる」とは
こういうことをいうのだ
(たぶんちがってるけど)。

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posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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