(河島弘美監修・鈴木あかね訳/TBSブリタニカ)
ラフカディオ=ハーン(小泉八雲)は
日本において、どれだけしられた存在なのだろう。
名前はきいたことがなくても、『怪談』や『耳なし芳一』といった
ふるくからつたわる日本のむかしばなしを、
なんとなく耳にしたおぼえがあるのではないか。
島根県、とくに松江市にすむものには、
小泉八雲といえばぜったいにはずせない人物であり、
超有名人といえる。
いまでこそほかの資源をいかして
観光客をよびこむ姿勢をみせているものの、
すこしまえまでは、小泉八雲だけで松江の観光をなりたたせようとしていた印象があったほど、完全によりかかっている。
ハーンがじっさいに松江でくらしたのは1年と2ヶ月にすぎず、
そのあと熊本・神戸、そして東京へとうつっているのにもかかわらず、
松江におけるハーンの存在は、
いまでもひじょうにおおきなものがある。
と、えらそうなことをかいているけれど、
わたしは松江にすんでいながら
これまでいちどもハーンの本をよんだことがなかった。
図書館にいくと、子ども室にさえ
けっこうな数のハーンによる著作があるにもかかわらず、
まともに手にしたことがないのは、
市民としてよろしくないのでは、と
もうしわけないような気もちをひきずっていた。
日本人でありながら三島由紀夫や川端康成の作品をまともによんでいないみたいな(わたしだ)。
今回まがりなりにもハーンの著作をよみとおせたのは、
長年の責務をはたせたようで とてもうれしい。
よみおえたといっても、
ハーンが日本でまとめたむかしばなしではなく、
ニューオーリンズで新聞記者をしていた時代にかいた
料理についての本だ。
ハーンはギリシャのレフカダ島に生まれ、
2歳のときにアイルランドへわたり、と
いくつもの町でくらしており、
日本にくるまえはニューオーリンズで新聞記者をしていたという。
『クレオール料理読本』は、そのときにかかれたもので、
料理にむけた好奇心とともに、
こうあらねばならないという厳格な面をうかがいしることができる。
この本は、ハーンがじっさいにつくりながらおぼえたというよりも、
おいしい料理にであったときに
料理人や主婦たちからつくり方をききだして、
記事にしながら一冊にまとめたものらしい。
料理の本といっても、日本のように小さじ1/2とかいった繊細なものではなく、
たとえば「亀のスープ」では
「朝早いうちに牛あるいは仔牛8ポンド、
ハムかベーコン1ポンド、タマネギ8個をこしょう、塩、香草で漬け込んでおく」
などといった、量的にも質的にも
日本人の感覚とはかなりちがったもので、
ためしにつくってみようという気になる料理はひとつもなかった。
こんなに肉やあぶらをつかった料理にかこまれていたハーンが
日本ではどんな食生活をおくっていたのかが、かえって気になってくる。
ベーコンやクリームは当時の松江で手にはいりにくかっただろうし、
料理にかかせないワインやブランデーはどうしていたのか。
読者としてかんじるのは、ある土地の料理について、
ハーンがどんな態度でむきあっていたかの新聞記者らしい好奇心であり、
こうした熱意を 日本ではむかしばなしの取材にむけたのだろう想像する。
こまかな点までおさえた料理があるかとおもえば、
すごくそっけないものもある。
チキンカレーなど、
「鶏を切り分け、煮込み料理の要領で煮込む。
できあがったらカレー粉を大さじ1加える。
米を添えて食卓へ」
とかいてあるだけで、このアンバランスはなんなのか不思議におもう。
たしかにこれでチキンカレーはできるかもしれないが、
料理の本と名のるからには、もうすこし愛想よくしてほしいものだ。
おかしかったのが「タルタルソースの作り方」で、
「タルタルソースを作るには二とおりのやり方がある。
どちらでも好きなほうを試してみるがよい。
急を要する場合は後者の方法が望ましいであろう。
第一の方法。若いタタール人をつかまえる。
老いたものは歯ざわりが悪いし汁気が少ない。(中略)
タタール人を手中にしたらこっそりと隠密に殺害すること。(中略)
第二の方法は次のとおりである。
固ゆで卵の黄身一個、マスタード小さじ一、
オリーブ油大さじ一、酢少々、
パセリ少々ときゅうりのピクルスを細かく刻み、混ぜる。これだけだ」
ハーンにこうした「わらい」があるとはしらなかった。
まじめでかたぐるしそうな印象だったハーン先生に、したしみがわいてくる。
料理の本らしくない料理の本なので 気らくによめたし、
おかげでめずらしいハーン体験ができたことをよろこんでいる。
料理の本というと、ラフカディオ=ハーンの仕事としては異端におもえるけれど、
取材対象がすこしちがうだけで、
ハーンとしては ずっとおなじようにフィールドワークをしていただけのつもりかもしれない。
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