バス旅行の番組をこのまえみたし、
今夜は「こんなところに日本人」でもとりあげられていた。
砂漠があって名前がなんとなくとおくの国っぽいし、
「異国情緒」をてっとりばやくあじわえそうな気がするのではないか。
モロッコといえば、ふるくは『月の砂漠』、ちょっとまえ(だいぶまえ?)では
聖子ちゃんのうたった『マラケシュ』が なんとなくあたまにうかぶ。
イメージをつくったという意味では、
映画の『カサブランカ』もはずせない。
すごくとおくではあるけど、ヨーロッパにちかくて
アフリカとしては でかけにくいとはいえない。
そもそもアフリカといっても、アフリカ大陸にあるだけで、
文化圏でいえばアラブであり、地中海であり、イスラムだ。
わたしもずいぶんまえにモロッコへいったことがあり、
テレビがうつす町の雰囲気が、当時とあまりかわらないのにうれしくなった。
車はひとむかしまえのデザインだし、ロバもまだ現役で荷物をひいている。
じっさいにいけば、おじさんたちまでもスマホをあやつってたりして、
ときのうつりかわりを ためくことになるのだろう。
きのうみた番組では、シェフシャウエンがとりあげられていた。
青を基調としてうつくしい町だという。
ほんの何日かまえにも、この町をおとずれている番組をみた
(たまたま再放送された時期がかさなったようだ)。
わたしもたしかこの町へいったことがあるはずなのに、
「いったことがあるはず」しかおぼえていない。
市場でタマネギをうっているひとに声をかけると、
「ここのタマネギは自然のめぐみをいっぱいにうけてるから
健康にいいんだ」という。「それにすごくうまいぞ」とも。
畑でメロンを収穫しているおばさんは、
「ここのメロンは味がこゆくてすごくおいしい」、とおきまりみたいにいうし、
シェフシャウエンの町についてわかい女性にたずねると、
「みんなやさしくて家族みたいだから、この町がだいすき」、なのだそうだ。
川で洗濯しているおばあさんは
「ゆたかな水に感謝しながら洗濯してるんだ、
水さえあれば、なにもこまることはない」、と堂々とこたえる。
町の女子高生たちが、おすすめの料理をおしえてくれていたけど、
マメのスープはまだしも、のこりの2つはタジンにクスクスだった。
この町のタジンとクスクスは特別、といわれても、
それはおそらくモロッコ全土に共通することなので
そのまましんじる気にはなれない。
みんながもう自分の町に自信満々だ。
まあこれは、モロッコにかぎったことではなく、
外国を紹介する番組をみるかぎり、どこの国のひとも
自分の国や町について、とにかく自慢げにはなす。
どの番組でも おなじようなこたえがかえってくることがおおく、
たずねられたひとは、きっとサービス精神から、
期待されていることをはなしてくれているのだろう。
とはいえ、日本でおなじような質問をしたら、
「さー、ここのはからだにいいって、むかしからいわれてますけどね」
くらいのひかえめなこたえがかえってくるのだろう。
日本人のこうした謙遜というか、遠慮する精神はかなり特殊みたいで、
それ以外の国はストレートな自慢があたりまえだ。
こうなんどもモロッコがでてくる番組をみると、
モロッコへまたいきたくなってくる。
歳をとったせいか、いったことがない国よりも、
感傷旅行にひかれるようだ。
アフリカの国としては、わりといきやすい、と
はじめにかいたけれど、もちろん日本からはそうとうとおい
(だからこそ旅番組が成立するのだ)。
自分さがしなんかではなく、ただの観光旅行として 気らくにまわりたい。
路線バスにのりながら、「どっかいいところはありませんか?」みたいに
よさそうな町へテキトーにむかうバス旅行の番組は
そんなわたしの気もちをうまくつついた。
あれだけ堂々と自分の町を自慢されると、
おおげさとはしりつつも、そこまでいうなら、と
のっかりたい気がしてくる。
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