2014年10月24日

自分のからだがわからない

このごろはしる回数をすこしふやしており、
そのせいか、このまえのジョギングでは
最初から最後まで、気もちよくはしれた。
はしっているうちに 足がどんどんまえにでるかんじで、
ペースがあがりすぎないように、
意識しておさえるような調子のよさだ。
やっとからだがはしるのになれてくれたかと よろこんでいた。
タイムは53分と、このコースとしてはわるくない。

そしてきのう。
お天気もよく、からだがうごきたがっていた。
あんまり気がのらないけど、とにかくはしるか、
ということがほとんどなのに、
めずらしくからだと気もちがかるい。
前回のようにいいかんじではしれたらと、
たのしみにスタートする。
でも、はしりはじめるといつもといっしょで、
足がおもく、タラタラとしかはしれない。
前回だけが特別だっただけで、またもとにもどったのだ。
ずいぶんタイムがおちただろうなー、と時計をみると、
前回とまったくおなじ53分だった。
あんなに楽にはしれた前回と、
こんなにくるしかった今回と、
おなじタイムなんてしんじられない。
実感とタイムがあわないのはよくあることだけど、
これくらいくいちがうことはめずらしい。
からだと脳はべつの感想をもっているのだ。

すこしまえに、あまりにもつかれがひどく、
とてもトレーニングにいけそうにないときがあった。
やめようか、でかけようか、しばらくまよううちに、
マッサージにいくことをおもいついた。
こんなにつかれているのなら、マッサージでつかれをとるべきだ。
でも、せっかくマッサージをしてもらうなら、
そのまえにトレーニングもして、
つかれたからだをもんでもらおうと、
貧乏性なのかまじめなのか、まずジムにでかけた。
そうしたら、さっきまでのだるさはなんだったのか、
というぐらいに からだがうごく。
けっきょくいつものメニューを、
いつも以上のおもりをつけてとりくんだ。

ひどいつかれをほんとうにかんじていたのは、
脳がブレーキをかけていたのだろう。
マッサージをおもいつくと、
サッとそのつかれがきえさって、
いままでにないほど調子よくバーベルがあがったのは、
マッサージという快楽に脳がくいついて、
「うごけないほどのつかれ」を解消してくれたのだと解釈する。
自分のからだなのに、
からだがつたえてくる情報があまりあてにならない。
自分のからだとはいえ、そう簡単にはコントロールできない。
効果的なトレーニングのためには、
からだがうったえてくるだるさに耳をかたむけず、
ときにはマッサージにあたる
なんらかのごほうびもちらつかせて、
脳をあざむく作戦が必要となる。

水泳でも、自分ではプロペラみたいにもうれつなスピードで
うでをまわしているとおもっているのに、
あとでその動画をみると、
ウォーミングアップをしてるとしかおもえない
ゆったりとしたおよぎだったりする。
脳が回転数をおさえる命令をだしているのだろうか。

トレーニングまえのだるさは、もうお約束みたいなものなので、
とにかくいったんはからだをうごかす。
もしほんとうにしんどかったら、そのときはトレーニングをやめる。
自分のからだを信用しないのはもうしわけないけれど、
つかれをかんじているのは いつものことなので、
からだの調子と相談して、
トレーニングをするかしないかをきめていては、
やすんでばかりになってしまう。

とはいえ、もうすこし楽にトレーニングをスタートしたいものだ。
からだのうったを、とりあえず否定することからはじめるのは、
あまりたのしいことではない。
なにもかんがえずに、スケジュールにあわせて
機械的にトレーニングをはじめるのが いちばんいいみたいだ。
からだに相談してはいけない。事務的に、しゅくしゅくと、がコツだ。

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posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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