バングラディシュやフィリピンの子どもたちに、
動画をつかった授業をとどけるこころみが紹介されていた。
「教えるのがうまい先生の授業を動画に収録し、
『最高の授業を世界の果てまで』届ける」のだという。
といっても、ここにかくのは教育格差についてではなく、
わたしがしっかり数学を理解できていない、というはなしだ。
動画をつかったある教室で、
「正の数と負の数を足したら、どうなるかな」
という問題にとりくむようすが紹介されていた。
これくらいなら、わたしにもまだついていけそうだ。
でも、すこしかんがえてみて、
わたしはただしく負の数について理解していないことがわかった。
自分では計算できても、とても子どもたちにおしえられない。
負の数字というのは概念上のはなしであり、
だれもマイナスの状態のものなんか みたことがないはずだ。
マイナスを理解できるかどうかは、
おそらく頭のよしあしよりも、
その概念をうけいれられるかどうかにかかっている。
マイナス8個のタコヤキと3個のタコヤキをたしたら・・・、
マイナス8リットルの水、なんてあるわけないのだ。
わかるほうがおかしいような気もしてくる。
そういえば、いったいマイナスって なんなのだろう。
わたしはいちおうマイナスをふくむ計算もできるようになった。
でも、負の数字をただしく理解していないことはあきらかだ。
目にみえないこんなむつかしいことを、
かんたんに理解できないほうが「ただしい」のではないか。
温度がマイナス3℃、というのはわかる。
とりあえずの基準として、ある地点を〇℃とし、
それよりもひくければマイナスの温度となる。
でも、ものの数のマイナスはわからない。
これを理論的にただしく理解できたひとは、
そのあともなにか壮大な発見をするかもしれない。
基本となる部分がしっかりしているから。
わたしみたいに、とりあえずは計算できるけど、
ほんとうによく理解しているわけではないものは、
応用がきかず、その場かぎりの正解でおわるだろう。
そんなことをいいだせば、
わたしの知識はどれもひどく大雑把で、
生活するうえではこまらないものの、
教育としてとらえたときには失敗した例だとおもう。
なぜそうなのかを、あいまいなまま ごまかしつづけた結果が、
つくろいだらけのわたしの知識だ。
きっとだから経済がわからないし、化学記号に拒絶反応をしめすし、
フランス語の冠詞がいつまでもおぼえられない。
基本がなければ応用がきかないのだ。
おしえ方のじょうずな先生の授業を動画でみたら、
わたしもただしくマイナスの概念を理解できるだろうか。
こういうのはセンスの問題であり、
「教えるのがうまい先生」が動画でおしえてくれても、
わたしの大雑把な把握はすくえない気がする。
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