なんで競馬場かというと、文字どおり
競馬場のあと地につくられた住宅地だからだ。
ぐるっとまわってみても、
いまとおっている道が競馬場と関係あるようにはおもえないけれど、
地図をみれば競馬のコースにそって
家がならんでいるのがよくわかる。
この競馬場あと地について、「デイリーポータルZ」の
「競馬場の形が残っている住宅地に行ってみた」(大山顕)
http://portal.nifty.com/kiji/141212165831_1.htm
という記事がくわしくとりあげている。
そっくり競馬場のコースがのこっているのは
めずらしい例なのだそうだ。
ウィキペディアによると、1929年から36年まで(昭和4年から12年)
じっさいに競馬がおこなわれていたらしい。
1929年といえば、世界恐慌がはじまった年で、
31年の満洲事変、37年の日中戦争と、くらい影をかんじてしまう。
そんな時代に、わたしのすむ町で競馬がたのしまれていた。
競馬場の形がのこっているからなんなんだ、といわれたらそれまでで、
大山顕さんも、その事実をおもしろがってくれるひとがいますように、
とずいぶん低姿勢だ。
ほんとうに、わたしもまず、その事実をおもしろいとおもうし、
すんでいないひとにとっては、まったくピンとこないことも よくわかる。
いまだからこそ住宅街になっているけれど、
競馬場ができたころは、なにもない町はずれだったはずだ。
わたしは当時の競馬場を、あらくれた男たちだけの
ガサツな雰囲気ではなくて、
イギリスの貴族たちがたのしんでいたような 社交としての場を想像し、
そうであったら おもしろいとおもう。
わたしの町には、競馬場のほかにも 競輪場があったらしい。
おおむかしのことかとおもったけど、
おおむかしに競輪があったわけはなく、
これまたウィキペディアによると、1950年にひらかれ、
3年後の53年にはもう廃止されている。
わたしが生まれるまえに競輪場がつくられ、
市民をあつくさせていたとおもうと、
なんだか活気のあるおもしろそうな時代におもえる。
戦後わずか5年しかたっていないときに、
だれが競輪場をつくろうなんて おもいたったのか。
それぐらいまえだと、規制緩和なんていわなくても
きまりはゆるゆるで、なんでもありの自由な雰囲気だったのだろうか。
日本にカジノをつくる案がでているそうで、
反対の意見をいくつか新聞でよんだ。
まともにかんがえたら、おおくのひとが拒否反応をしめすのは
無理からぬことにおもえる。
これがもし当時だったら、カジノくらい あんがいすんなりできたのではないか。
いまとなっては カジノどころか、
あたらしく競馬場や競輪場をつくるのもむつかしそうだ。
なにか社会が 根本的な部分でかわったのだろうか。
わたしは競馬や競輪に関心がなく、パチンコさえしないけれど、
日常的に競馬や競輪があった時代は
そうわるくないようにおもえる。
わたしのおじいさん・おばあさんの世代のひとが、
あたりまえのこととして競馬や競輪をたのしんでいたなんて、
いまよりずっとおしゃれな社会みたいだ。
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