2015年01月23日

習慣に優劣はあるか

体育館でトレーニングしてるとき、
わたしにもし財産があるとしたら、
からだをうごかさずにはおれない この生活習慣こそが それではないかとおもった。
なるべく運動したくないというひとはおおいし、
ダイエットはしたいけど、できればからだはうごかしたくないというはなしもよくきく。
運動は、あるひとにとっては、ずいぶんめんどくさいものなのだそうだ。
習慣の問題なのだろう。
たとえばエスカレーターではなく階段を、
自動車ではなくあるいたり自転車にのるのは
わたしにとって当然のことで、快感でもある。
からだをうごかす習慣が身についているおかげで、
体調はわるくないし、生活習慣病の心配もあまりしていない。
ありがたいことで、お金にはかえられない財産だ。

ある習慣があり、ながい期間にわたってとりくめば
その蓄積が財産となる。
読書もそうだ。義務や仕事だからよむのではなく、
たまたま本をよむ習慣が身につき、よみつづけた結果が
合計するとかなりの時間を本についやしたことになる。財産である。
財産はどれだけ時間をかけてきたか、とすれば、
財産のおおくは習慣ではないか。

では、マイナスとされる習慣はどうかんがえるべきか。
たとえば喫煙。
たばこをすう習慣も、つもりつもれば財産になっているのか。
ゴロゴロする習慣、というのはどうだろう。
ねっころがってテレビをながめたり、なにもしなかったり。
どれだけゴロゴロに時間をついやしても、
ゴロゴロだけではなにもうみださないような気がするけど、
ゴロゴロにもうまい・へたがあるだろうし、
洗練されたゴロゴロには、あなどりがたい効力がかくされているのかも。

けっきょく、人間がかっていい・わるいと とらえるだけで、
すべては対等で、なんにでも意味があり、どうじに意味がないのかもしれない。
わるい習慣とは、ある価値観から身勝手にきめつけただけで、
タバコをすって肺がよわくなったかもしれないけど、
それとひきかえにおちつけたり、緊張をやわらげたりできたのだ。
あらゆる文化は相対的で、優劣がないように、
習慣にもまたいい・わるいはないような気がしてきた。
運動は正の財産で、喫煙は負の財産なんてことはなく、
たまたまいまという時代にそうおもわれているにすぎない。

人類10万年のながい歴史からすれば、
このごろとくにすべてがどうでもよくおもえてきた。
あと100年もしたら、ジョギングなんてだれもしてないかもしれない。
なにもかもを、いっしょくたにしすぎているだろうか。

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posted by カルピス at 13:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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