ひとりできれいに食事するのは、あんがいむつかしい。
たべているとちゅうでいろんなこと、
たとえばおかずをレンジであたためたり、
とりわすれたおかずをおもいだして冷蔵庫をあけたり、
たべおえたお皿を、まだほかのものをたべているのに ながしにはこんだり、
そのときにお皿のよごれを、ついでに紙でふきとったり。
ひとりでたべているのに、やたらとあわただしい。
たべながら、腰をあげるのがおおすぎるのだ。
ひとりでたべるときくらい、
すきにやればいいようなものだけど、
ひとりのときこそ おちついてうつくしくたべたくもある。
自閉症の障害特性のひとつとして、視覚優位があげられる。
耳からはいる情報よりも、目にはいるもののほうへ 敏感に反応するという特性だ。
しかしこれは、自閉症にかぎらず おおくのひとにいえることで、
目にはいると だれでもついおもってなかったことをやってしまう。
よごれたお皿をみるとながしにもっていきたくなるし、
レンジのフタがあいているとすぐにしめたくなる。
冷蔵庫におかずをしまうとちゅうに テーブルのうえにだしてあるバターをみると、
手がふさがっているのに、それもついでにかたづけたくなる。
あんがいわたしはかなり視覚優位な人間かもしれない。
目にはいらなければ気にならないのだから、
調教のとき馬につけるような道具(ブリンカーというのだそうだ)をつかい、
目にはいる範囲をせまくかぎってしまえば たべることに集中できるだろう。
しかし、もちろんそんなものにたよりたくはない。
これらをすべて解決できるのがお弁当だ。
どれだけたべたらいいのかに なやむことがないし、
いろんなお皿がまわりにちらかりもしない。
お弁当箱にはいっているのがすべてなのだから、
すごくわかりやすい。
箱にいれる手間をいとわなければ、
お弁当くらいすばらしい方法はない。
おちついてテーブルにつくというのとはべつに、
おはしのつかい方やちゃわんのもち方など、
きれいにたべるためのハードルはたかい。
「わたしばし」はよくないというけれど、
そもそもわたしのうちには はしおきがない。
これらの「作法」もおおきな問題ではあるけれど、今回は そこまでふれない。
よく、ひとりでくらすときにも、
手をぬかずに食事や身のまわりをととのえる大切さを指摘される。
ひとり分でも わたしはおそうざいにたよらずに
自分でかいものをして料理する自信がある。
でも、せっかくそうやってつくっても、
きれいにたべられなかったら なんだかピントをはずしているみたいだ。
これからさき、なんにんかでテーブルにつき、
おしゃべりしながらたべられるときばかりではないだろう。
ひとりのときにでも、だれにみられてもはずかしくない食事は
わたしにとってすごくむつかしい。
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