2015年02月16日

『フランシス・ハ』(ノア=バームバック監督 )ハンパじゃないようでハンパなのがいいかんじ

『フランシス・ハ』(ノア=バームバック監督 2012年アメリカ合衆国)

フランシスはニューヨークのアパートで
友だちのソフィーといっしょにくらしている。
フランシスはダンサーをめざしているけど、なかなか芽がでない。
恋人がいたけど、恋人がいっしょにくらそうというのをことわり、ソフィーとの同居をえらんだ。
そのすぐあとで、ソフィーはべつの家にうつる、といいだす。
ここからフランシスは、なにをやってもうまくいかなくなる。

フランシスは背がたかく、がっしりしたからだつきで、そんなに美人ではない。
27歳だけど、みかけだけ大人で、おとなとしてふるまえない。
損得でさきのことをかんがえられず、不器用に生きている。
いわゆる「非モテ系」だ。
からだがでかいので、うまくいかないときは すごくにぶいやつにみえてしまう。
かっこわるい。
でかくてさえないという、自分のキャラをしっており、
へたに下をむいたりすると目もあてられないので、
前をむいてノシノシあるき、どこでも だれにでも堂々とふるまう。

コピーの「ハンパなわたしでいきていく!」がうまい。
どちらかというと「ハンパじゃないよ」とつっぱって生きているのに、
どうしてもハンパになってしまうのがフランシスだ。
ソフィーに恋人ができ、フランシスとちがう世界へ、どんどんさきをいってしまう。
まわりはうまくやっているのに、
自分だけおなじところをグルグルまわっている。

フランシスは、このままではダンサーとしての居場所がなくなるからと、
スタジオのオーナーに事務の仕事にうつるようすすめられる。
フランシスはダンサーとしてやっていくのにこだわり、
このもうしでをことわる。
ことわったらどんなにたいへんな状況か、フランシスはよくわかっている。
もうすこし じょうずにおよいだらいいのに、と自分でもおもっている。
でも彼女の生き方からは、ダンサーをあきらめるなんてできない。
自分に必要な仕事とわかっていても、事務職をことわらずをえない。

発作的にパリへでかけたりもする。お金はないのでクレジットばらいだ。
パリではあてにしていた友だちと連絡がとれず、
せっかく背のびしてパリへいったのに、
やったことといえばけっきょくアメリカにいるソフィーとはなしたことくらい。
その友だちからは、ニューヨークにかえると同時に連絡がはいった。
なにをやってもうまくいかないのだ。

生活費をかせぐために、母校で臨時の仕事につく。
わかい学生にまじっていっしょにやるのはさすがに違和感があり、
いつまでこんなことをやってるんだろうわたし、とトホホな毎日だ。
でも、自分をまげないフランシスがかっこよくみえる。

それがいちばん底のとき。
それからすこしずついい風がふきはじめ、
はったりでなくいきいきとした表情をフランシスがとりもどしていく。
そして、さいごにはアパートでのひとりぐらしができるまでにこぎつけた。
自分の家を手にいれたうれしさから、
「フランシス」と紙にかいて表札にはさむ。
全部の氏名は表示されなかったけど。
いいかんじだ。

フランシスみたいに生きたい女性は 世界じゅうにいそうだ。
でもフランシスは、どんなときでも 自分でありつづけた。
フランシスが手にしたあたらしいくらしは、
べつに大成功をおさめてのものではない。
自分の道をあるきつづけたおかげで、
ダンサーとしてではなくとも、演出の道で評価をうけた。
つっぱるのをやめ、事務としてスタジオとかかわったりもしはじめたようだ。
みおえたあとのここちよさがすばらしい。

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posted by カルピス at 14:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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