2015年03月22日

『怪しい彼女』70歳のこころで20歳を生きるあやしさがおかしい

『怪しい彼女』(ファン=ドンヒョク監督・2014年・韓国映画)

はじめてまともに韓国映画をみる。おもしろかった。
あんなにわめかないと(さけばないと)
コミュニケーションできないのかと
はじめのほうは、わざとらしさ・さわがしさにだいぶひいてしまった。
スクリーンに集中できたのは、主人公の女性がわかがえってからだ。

70歳の女性マルスンは、まわりから年よりあつかいされ(儒教の国であっても)、
からだも頭もおもうようにはたらかなくなり、
むかしをなつかしむさみしい時間がおおくなっている。
もっとふけこむまえに、写真をとっておこうと
たまたま目についた写真店にはいると・・・。

70歳がきゅうに20歳になったのだから、
外見はわかわかしくてもしぐさや価値観はふるくさく、
どうしても「怪しい」ふるまいになってしまうのがおかしかった。
わかい女性が年よりじみたことをいっても
まわりはユニークなひととうけとめてくれる。
反対に、70歳の女性が20歳みたいにふるまったら
気もちわるがられるだけなのに。

自分のからだがほかのひとといれかわるはなしはあるし、
むかしに(あるいは未来に)タイムスリップするのもよくみかけるけど、
自分だけが50歳わかがえり、まわりはいっしょ、という設定がおもしろかった。
SFにならず、なぜかリアリティがある。
10〜15歳わかがえるのだとアンチエイジングのはなしだけど、
50歳もいっきょにかわってしまえばべつの世界だ。
マルスンはもういちど20歳を体験することで、
まずしくてつらかった時代にはあじわえなかった人生をたのしむ。
わかがえったマルスンがうたうと、
おおぜいのひとのこころにひびく。
むかしの苦労をおもいながらうたうのだから、
そりゃソウルがこもってくるだろう。

バンドでうたううちに、歌番組で人気をあつめ、
コンサートに出演するまでになり、
マルスンは仲間たちと「ありえたかもしれない人生」を生きる。
脚本がよくねられ、ラストシーンまでテンポよくひっぱっていく。
おわりのほうで、仲間のおじいさんが「青春写真館」にいくオチがよかった。
あそびごごろ、ふざけ方がよくわかっている監督だ。
「まちがいをおこすまえに、はやく献血にいきな」がおかしい。
マルスンは、20歳でも70歳でも、いつもかわらずマルスンだ。
「たのしい夢をみたよ」「あんなにたのしい夢をみたのははじめてだ」
マルスンも家族も、さいごには ひとかわむけてあかるくなった。

もしわたしが20歳のもどったら なにをしたいだろう。
うたっておどれるわけでもないし、
格別にやりたい夢なんてかんがえなかった。
容姿については、70歳ならともかく、
50台のいまは まだ切実にわかさをもとめるまではいってない。
結局おなじようなさえない人生をくりかすのではないか。
「ありえたかもしれない」もうひとつの人生をおもいえがけない。
あんがいわたしはいまの人生に満足しているのかもしれない。

そうえいば、数週間まえの松江は、竹島をめぐってさわがしかった。
右翼の宣伝車がたくさんやってきて、領土などについてはなしていた。
韓国の映画をみるというあたりまえのことが
あたりまえでなくなる社会はたのしくない。
はじめてみた韓国映画は、日本の作品とはちがうエネルギーにあふれていた。
さいごのおとし方もきれいにきまり、いい気分で席をはなれた。

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posted by カルピス at 11:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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