2015年03月24日

『すべての美しい馬』(コーマック=マッカーシー)つよく、うつくしく、誠実で、かなしい

『すべての美しい馬』(コーマック=マッカーシー・黒原敏行:訳・早川書房)

読点がとてもすくなく、かわいた文体。
その文体が、今回のような西部の土地にはよくにあう。
そして、マッカーシーがえがく世界の独特の雰囲気は、
この文体でなければなりたたない。

といっても、はじめはなかなかものがたりにはいりこめなかった。
場面がどんどんうつり、しかし説明はなく、状況がよくわからない。
そんなことはおかまいなしにマッカーシーははなしをすすめ、
やがて主人公のジョン・グレイディは相棒のロリンズと旅にでる。
旅といっても、馬にのって野宿しながらメキシコをめざしてすすむ、
西部劇みたいなスタイルだ。
野営するところをきめると火をおこし、
毛布にくるまってねむる。
しっかり食料を準備しているわけではないので、
食事はしたりしなかったり。
ジョン・グレイディも、ロリンズも口かずがすくない。
アメリカ人はひとつの理想として、
こういう男らしさを尊重するのではないか。
よけいなことはいわない。「いたい」なんて弱音をはかない。

旅をするうちに、はたらける農場がみつかり、2人はそこで世話になる。
ジョン・グレイディは、カウボーイとしてのうでがみとめられ、
充実した時間をすごす。
しかしそれもながくはつづかず、
やがてトラブルにまきこまれ、2人は壮絶な暴力の世界におくりこまれる。
どんな状況でも、ジョン・グレイディは
自分はやらなければならないことを淡々とこなす。
ひとにたよらない。あまえない。

ものがたりのはじめに、
「16歳の少年」とちゃんとかいてあるけれど、
旅にでてからのジョン・グレイディはとても少年におもえない。
20代後半の青年みたいだ。
まわりも一人前の大人としてあつかっている。
はやく成熟しないではいられない社会なのだろう。
じっさい、ジョン・グレイディはなんだってできるのだ。
酒がのめるしタバコもすう。
銃をうてるし、馬のあつかいは一流だ。
だからといって粋がっている青二才ではない。
女ともうまくやれるし、
なんと脱臼までなおせる。
なによりも、男としてふるまえるし、
ふるまうだけでなく、男として生きている。

マッカーシーの本をよむとわたしは姿勢をただされる。
成熟したおとなとして生きたいとおもう。
でも、そんなのは、ねがったところでかんたんにできることではない。
これまでどう生きてきたか。
いま、どう生きているか。
それだけに、世界はシンプルともいえる。
やるべきことをすればいい。

ものがたりのおわりでロリンズがジョン・グレイディにたずねる。
おまえ、これからどうするんだ?
出ていくよ。
どこへいく?
わからない。
油田で働いたらどうだ。えらく給料がいいらしいぞ。
ああ。知ってる。
おれの家にいたっていい。
まあ、でていくことにするよ。
この辺もまだ捨てたもんじゃないぜ。
ああ。わかってる。でもおれの住む場所じゃないんだ。
ジョン・グレイディのつよい精神と誠実なひとがらが、
まわりからみとめられないわけではない。
しかし、ジョン・グレイディはあまりにも自分にきびしい。
ジョン・グレイディがおちつける場所はあるだろうか。

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posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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