2015年04月01日

『走ることについて語るときに僕の語ること』でみえてくる村上さん

「村上さんのところ」をよんでいると、
はしることがよく話題にのぼっている。
そしてそのせいか『走ることについて語るときに僕の語ること』
にふれるひとがおおい。
2007年の10月に出版されたこの本を、
ひさしぶりによみかえしてみる。

第1章の「誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?」は
2005年8月5日のハワイ州カウアイ島・ノースショアの風景からはじまり、
ランニングをめぐる心境を村上さんが率直にかたる。
どこかでよんだことがあるかんじ。
『遠い太鼓』だ。
旅行記とランニングという、
まったくちがう対象についてかかれているのに、
かきだしの雰囲気がよくにている。

この本は、11月のニューヨーク・シティマラソンにむけてはしる日々を中心に、
ランニングをはじめたきっかけや初マラソンのおもいでなどがかかれている。
村上さんがとなえる「カキフライ」論理のランニング版といっていいだろうか。
はしることをどうとらえるかは、
村上春樹とはどんなかんがえ方をするひとなのかを
ありのままにあらわすことになる。

前回の大会が屈辱的なレース展開とタイムになり、
もうあんな目にあいたくないと、村上さんは
「まったくゼロからやり直すつもりで」
ニューヨーク・シティマラソンをめざす。
しかし、ランナーとしての記録を客観的にみれば、
村上さんは失敗した大会のまえ、具体的には40代後半から、
すこしずつおちていくタイムをとめられなくなっていた。
シティマラソンは、だから村上さんにとって
自分がまだやれることをタイムのうえで証明する大切な機会だった。
月に300キロ以上はしりこみ、調整も順調にすすむ。
これまでの努力がきっとむくわれるだろうと、
期待と不安を胸に村上さんはレースをむかえる。
練習スケジュールは滞りなくこなした。これほど順調に練習を積み重ね、レースに臨んだことは、これまでにたぶん一度もなかったはずだ。だから近年になく良いタイムが残せるだろうという期待(あるいは適度な確信)があった。あとはただ貯まったチップを現金に変えればいいだけなのだと。
トレーニングをしているとよくわかるけど、
日々のトレーニングは、その都度ある種の決断によってなりたっている。
日常の仕事や雑用をやりくりして はしる時間を確保し、じっさいにはしるのは、
おげさにいえば奇跡みたいなものだ。
そんなトレーニングを、村上さんはほとんど毎日のようにつみあげてきた。
レースにむけたコンディションづくりに一発逆転はなく、
毎日のつみかさねが正直に記録となってあらわれる。
そして、しっかりトレーニングをつづけたからといって、
かならずしもそれ相当の結果をむかえるとはかぎらないのが残酷なところだ。
シティマラソンは、残念ながら村上さんにとって満足のいくレースとはならなかった。
いくら考えても納得がいかない。(中略)もし天に神というものがいるなら、そのしるしをちらりとくらい見せてくれてもいいではないか。それくらいの親切心があっていいのではないのか?
村上さんが毎日のようにはしっていることはよくしられている。
しかし、どんなトレーニングをこなし、
どんな心境でレースにいどむのかは、この本にはじめてかかれた。
55歳になり、もういちど4時間をきろうと目標にかかげ、
ほとんど毎日しっかりはしりこむ。
それがどれだけたいへんな、そしてすばらしいことかが
はしってみるとわかる。

「村上さんのところ」をみると、村上さんに影響されて
たくさんのひとがはしりはじめている。
はしることがすべてをかえるわけではないにしても、
みえてくる景色はすこしちがってくる。
カキフライをたべなければカキフライの味はわからない。
たべなくてもとくにさしさわりはないけど、
たべないでいるのはもったいないかもしれない。

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posted by カルピス at 12:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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