2015年04月20日

『バグダッド・カフェ』「仲がよすぎる!」といってでていく女性を大切にしている作品

『バグダッド・カフェ』(バーシー=アドロン監督・1987年・西ドイツ)

あいた時間ができたので、
録画してあった『バグダッド・カフェ』をみる。
リビングというか、台所でみるのだから
どんな作品でもいいわけではない。
『ハート・ロッカー』はおもすぎるし、
『イングリッシュ・ペイシェント』には集中できそうにない。
というわけでえらんだ『バグダッド・カフェ』。

ドイツ人の女性旅行者ジャスミンが、
さびれはてたバグダッド・カフェにたどりつく。
あらゆるところにほこりがたまり、
ガラクタでいっぱいの、雑然としたカフェとモーテルだ。
みかねたジャスミンが徹底的にそうじをして
店をきれいにすると、だんだんにぎわいをとりもどす。
さびれたお店もなかなか味があったけど、
客としてすごすにはひどすぎるかもしれない。
カフェなのにコーヒーがないし、
モーテルの部屋だってただベッドがおいてあるだけだ。

製作は西ドイツとアメリカ合衆国ながら、
雰囲気はフランス映画をみているようだ。
ながれものの旅行者の存在が、まわりのひとたちをかえていく、
というよくありがちなストーリーで、
とくに新鮮味はないのに みせる。
こういうかぎられたせまい空間でのはなしがわたしはすきだ。
こんなところでおなじひとの顔をみながら
かわりばえのしない毎日をすごすのも わるくないような気がしてくる。
わたしの生活だってにたようなものなのに、
画面でみるとまたちがった味わいがかんじられる。

ジャスミンのマジックショーがあたり、
長距離トラックの運転手でにぎわうようになり、
店のスタッフがいきいきとはたらき、
すべてがうまくまわりはじめたときに、
モーテルでくらしていた女性が でていくといいだす。
「家族同然だったのに」とまわりがおどろいていると、
「仲がよすぎる!」とその女性がいった。
このひとことがあるのとないのとでは、
作品のなりたちがぜんぜんちがってくる。
和気あいあいとした雰囲気では、
やっていけないひともまた、この作品は視野にいれている。
うたとおどりの、にぎやかでたのしそうな画面のあとで
そんなシーンをもりこんだのがうまい。
ジャスミンみたいなながれものも、
さびれた店のままずっとほっておいたような ろくでもない店員たちも、
お店のたのしさにひかれてくる常連客も、
だれもを「バグダッド・カフェ」はうけいれる。
そして、「仲がよすぎる」といって
はなれていくひとの存在もまた、みんながみとめている。
それが「バグダッド・カフェ」の世界観だ。

なにかをなしとげるとか、
夢をかなえるとか、
お金もちになるとか、
そんなはなやかさがなくても、
ぼちぼちくらしていけたら それもまたしあわせな人生だ。
トホホなことがおおくて、これからもたいしたことなさそうなわたしの人生も、
それもまあいいか、という気にしてくれる。
愛があれば、それでなんとかなる。
愛がないと、人生はちょっとつらい。
「仲がよすぎる!」といってでていった女性が
どこかしあわせにくらせる場所にたどりつくようねがっている。

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posted by カルピス at 14:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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