2015年04月29日

『博士の本棚』(小川洋子) 知らないでいることの静けさ

『博士の本棚』(小川洋子・新潮社)

本についてのはなしが中心のエッセイ集。
ときどき小川さんがいっしょにくらしている ラブラドール犬のラブがでてきて、
そのノーテンキさがとてもかわいい。
「知らないでいる」は、ラブが血尿をだしたときのはなしだ。

血尿をだしたラブを、小川さんとご主人が病院へつれていく。
尿をしらべるためには、尿道に管をさしこむので すごくいたそうだ。
でも、ラブはまわりが心配するほどいたみをかんじないのか、
あんがいけろっとしている。
急性前立腺炎と診断された。
あたりまえながら、オスの犬には前立腺があるのだ。
しらべるうちに熱が40度をこえているとわかり、注射をうち、点滴もされる。
それでもラブはいつもとおなじくらいげんきにふるまうし、
食欲もある。
苦痛を訴えもせず、嫌がって暴れたりもせず、ただ大人しくお座りをしている。尻尾まで振っている。自分の下半身で今何が起こっているのか、知ろうともしない。それどころか、自分に尿道というものを持っていることさえ知らない。

小川さんの感想はこうだ。
知らないでいる、などという難しいことを、お前は平気でやってのける。誰に教わったわけでもないだろうに、知らないでいることの静けさをちゃんと知っている。本当に賢いなあ。

ラブにしたら、かしこいから「知らないでいる」わけではないし、
しらないでいようとして しらないわけではない。
でも、事実として「静けさ」を身につけているのだから、
人間にはなかなかできないこころのもち方だ。
しるって、なんだろう、とか、
進化とは、なんていいだすとわけがわからなくなるので、
ここはシンプルにかんがえる。
しらないでいるしずけさを、人間も身につけられるだろうか。

「知らないでいる」は運命をうけいれることとセットだ。
ラブがもし病院へいってなければ、
急性前立腺炎がわるくなって、いのちをおとしたかもしれない。
動物たちにとって、死はうけいれるしかないものだから
「知らない」ですませられる。
いっしょにくらしている人間は、
かんたんに死なれたらこまるので犬を病院へつれていく。
犬のため、というよりも、自分たちのためだ。
人間も、自分が病気かどうかをしらないでいるためには、
病院へいかなければいい。
健康診断やガン検診もうけない。
病気の発見がおくれ、ガンで死ぬかもしれない。
しかし、病気がわかったからといって、ガンが早期でみつかったからといって、
すべてがうまくいき、なが生きできるわけではない。
それよりもしずけさを手にいれるほうがいい、というかんがえ方もある。

わたしはだいぶそっちにかたむいてきたけど、
いざ余命を宣告されたら しずかでいられる自信はない。
しずかでいられる ひとつの方法が、「知らないでいる」ことではないだろうか。
動物とちがい、人間には死にたくないという煩悩がある。
なんで死にたくないのか、理由などなくても、
ほとんどのひとは とにかく死にたくない。
いろんなことをしればしるだけ、よけいにジタバタしてしまう。
凡人にとってしずけさは、しらないでいることによってのみ、手にできる こころのおちつきにおもえる。

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posted by カルピス at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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