2015年06月15日

稲の苗がそだっていた(たぶん稲)

あまりしられていない事実として、
床におちたごはんつぶは、おもいがけないほどよくはねる。
おちたであろう場所をさがしても、まずみつからない。
バウンドして、すこしはなれた、
ときにはずいぶんとおくの場所までとんでいる。
ねばりつくごはんつぶは、
床にくっつくのではねないようにおもえるのに、
まるでオカキでもおとしたみたいに よくはねている。
くっつくには、床におちたときの衝撃がつよすぎるのだろう。
「とぶ」とか「はねる」など、
ごはんつぶに ふさわしくない表現をしたくなるほど、
長距離を移動しているのに わたしはいつもおどろいている。

このすぐれた観察が、なにかにいかせたらいいけど、
残念ながら、おちたごはんつぶをさがすときくらいにしか役だたない。
マクラとしてすこしくるしかったけど、お米つながりということで、
本題は田んぼにはえた稲のはなしだ。

田んぼをまわっていたら、
稲の苗らしいものをみつけた。
ヒエかもしれないけど、稲かもしれない。
稲には茎と葉のさかいに葉舌というヒゲがはえていて、
それがヒエと稲とをみわけるしるしとなる。
でも、ヒゲのようにみえるし、
ヒゲでないようにもみえる。
稲であってほしい。
写真のような苗が、田んぼじゅうでそだっていたら みばえがいいけど、
じっさいは、まばらにはえている程度だ。
しっかりモミをまいたわりには すくない本数にとどまっている。
敗北宣言をだすほどひどくはなく、
だからといって、たからかに成功を自慢するほどでももちろんなく、
このさきどうそだっていくのか予断をゆるさない。
すこしの苗からたくさんの穂がみのるかもしれないし、
このままさみしい本数にとどまるかもしれない。
稲.jpg
田んぼは3枚あり、1枚はずっと水につかっていて、
1枚は水のない畑状態で、もう1枚が水をためたりぬいたりしている田んぼだ。
その3枚目で稲がそだっている。
1枚目と2枚目の田んぼは ほとんど芽がでなかった。
じかまきのむつかしさは、発芽をそろえることだ。
ことしの体験をいかして、来年はもっと種モミの量をふやしてみよう。

芽がでなかった田んぼをそのままにしておくのはもったいないので、
大豆の種をまいた。
例によってたがやしたりせず、移植ゴテですこし土をほじくって、
種を4〜5つぶずつうめこんでいく。
ちょっとほるだけで、たくさんの虫やミミズがあわててはいだしてくる。
いつもかくことだけど、なにも手をくわえないせいか、
命にあふれた土地がそだちつつある。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 15:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック