2015年07月09日

『どくとるマンボウ青春記』(北杜夫)

『どくとるマンボウ青春記』(北杜夫・新潮文庫)

いろんな精神状態のときがあるもので、
すこしまえの夜、きゅうにこの本がよみたくなった。
わたしはこの「青春記」から北杜夫、そして
おとなの本の世界にはいったこともあり
おもいでの一冊となっている。
手にしたのは中学1年生のころで、それまでおとなの本は、
自分には縁のない世界のものとおもいこんでいた。
この本がはじめての「北杜夫」でよかったとおもう。
わかもの特有の、ばかげたおおさわぎをしながらも、
こころのなかはどこかものかなしい青春時代。
おおくのひとが なつかしい気もちになるとともに、
はずかしさもまた おもいだすのではないか。
まさしく「青春記」というよりなく、
中学生だったわたしは、背のびしながら、
無意識のふかいところで 当時のわかものたちに共感したのだとおもう。

この本をよんだことで、旧制高校風なバンカラにあこがれ、
軟派な路線をとおざけるようになった。
じょうずに世間をおよいでいく若者よりも、
ばかげたことに時間をついやして、
不器用に生きるひとをみとめるのも、
きっとこの本からなにかをうけとったのだろう。

よくないお手本としては、
大学はそんなに授業にでなくてもいいところとおもいこんだ。
のちにわたしが大学生になったとき、
ズルズルと授業をなまけるようになったのは
どこかにこの本の影響があったようにおもう。
北杜夫のほかの本からは、
パジャマをいちにちじゅうきてすごすことをまなんだりしている。
朝おきて、パジャマのうえに制服をきて中学へゆき、
もどってからもパジャマのままですごした。
そんなばかげたふるまいを、粋だとかんちがいしていたおろかなわかものだった。
万年床になったのも、きっと「青春記」の影響だ。
ずっとしきっぱなしの布団をある日めくってみると カビがはえていた。

時代背景としては、敗戦をはさんだ戦後の数年なので、
あらゆるものが不足していた当時のくらしが記録されている。
腹をすかせた寮生活や、食料のかいだしなど、
数十年まえの日本で ほんとうにあったことなのだ。
いまのわかものがこの本をよんだとして、
日本が中国やアメリカと戦争していたことを
どんなふうにうけとめるのだろう。

夜ねるまえに、この本と
『鈴木さんにも分かるネットの未来』とを、平行してよんでいた。
ネットのはなしのあとこの本を手にすると、
かかれている世界があまりにもちがうのでクラクラする。
くらべるのがムチャなはなしなのだけど、
どちらの世界にひかれるかといえば、あきらかに「青春記」のほうだ。
わたしは旧世代の人間なのだ。
自分の青春時代とはまるでちがうとはいえ、
わたしはこの本とおなじにおいをかいできたようにおもう。
なつかしさから、おもいでばなしばかりになってしまった。

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posted by カルピス at 17:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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