題目は『釣りとチャイと愛人と』。
わかりにくいけどハタチ族らしい劇という評判をきき、
ぜひいまのうちにみておきたかった。
夜8時すこしまえに会場につくと、
西藤さんがもうつり糸をたれている(さおをもってつりをしているふり)。
8時になると音楽がはじまり、共演の松島さんがはいってきた。
つりをしている西藤に、松島さんがひとりごとのようにはなしかける。
このオープニングは、『演劇入門』でおなじみだ。
はじめは、なんでこんな女の相手をしなくちゃならないんだ、みたいに
めんどくさそうだった西藤が、つれない返事をしてるうちに、
あいかわらずはなしがかみあわないものの、
ふたりのやりとりにリズムがでてくる。
意味は、よくわからない。
松島さんは「あのひと」の愛人だったみたいで、
その「あのひと」はもう死んでしまったみたいで、
西藤さんは「あのひと」のしりあいだったみたいで、
松島さんはじつはユウレイみたいで、
ふたりの関係がよくわからないのうえに、
冬なのにあついとか、
太陽がうごかないとか、
なんでこんな世界になっちゃったんですかねー、と
世紀末のはなしみたいな気もしてくるし。
ときどき松島さんが女のヒステリー全開となり、
家の修羅場をおもいだし、びくっとからだをかたくした。
はなしがあっちこっちいくので、
なんだかシナリオなんてどうでもよくて、
けっきょくは役者さんが舞台をつくっていくのだ、とおもえてくる。
どんなシナリオでも、それなりの役者さんなら
観客をひきつけて「世界」をつくってしまうだろう。
でも、「冬にやった(『釣りとチャイと愛人と』とは)別もの」と
反省会で西藤さんがはなしている。
シナリオをいじって劇に変化をつけたのだから、
やはりシナリオあっての舞台ということになる。
きっとこの劇は これからも変化しつづけながら、
いつか「釣り」と「チャイ」と「愛人」の3つが
絶妙にからまるときをむかえるのだろう。
こうやって演劇にうちこんでる劇団がみぢかにあることを ありがたくおもう。
劇がおわり、さいごのあいさつをしてるときに、
つぎの日から(7月10・11日)出演する
ぜんじろうさんが舞台にあがってきた。
ぜんじろうさんは吉本所属の芸人で、
なにをはなしてもわらいをさそう。
リズム、間のとりかた、表情などで、
舞台の雰囲気を自由にあやつっている。
ネタがどうこうだけでなく、これはたしかに芸といえる話術だ。
ぜんじろうさんによると、
ハタチ族がやっている365日連続公演はとても貴重らしく、
世界的にみてもブロードウェイか吉本のなんば花月くらいじゃないか、
と評価していた。
ハタチ族はたった9人でやってるのだから、
吉本の規模とぜんぜんちがいます、と西藤さんが強調する。
世界的にみてもありえない企画に、
こうやってたちあえるしあわせをおもう。
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