映画がはじまってからも、
とちゅうから入場してくるひとがいる。
それをわざわざ職員が誘導し、あいた席に案内する。
席をさがしてうろうろされるよりも、
そうやって案内するほうが、
まわりに迷惑にならないという判断だろう。
まったく余計なお世話だ。
あとからはいるひとがどれだけこまろうと、
上映時間におくれたほうがわるいのだから しかたがない。
そもそも、おくれてはいるなんて、みとめなければいいのだ。
きょうは3組がおくれてはいってきた。
この上映会はいつもそうだ。
おくれたひとがいつまでもダラダラはいってきて、
さきにみていたほうが我慢しなくてはならない。
映画をみているときに、
とちゅうからはいってくるひとがいたら 気がそがれる。
おくれて席についたひとは、しばらくゴソゴソするので
それもまた興ざめだ。
40分たってもまだ案内すので腹がたってきた。
映画がたいしておもしろくなかったこともあり、
45分で会場をでて、出口のところにいた職員に
とちゅうからの入場について苦情をいう。
館の方針で、映画がはじまって何分たとうが、
その客がはいりたければ案内するのだそうだ。
できるだけしずかに誘導しますので、ご協力ください、という。
さきに席についている客の気がそがれるといっても、
ご理解くださいの一点ばり。
せめて時間をきめ、たとえば
10分すぎての入場はみとめないようにしたら、といってもだめだ。
なんであとからきた客のために、
時間どおりにきていたものが我慢しなくてはならないのか。
おくれてきた客にたいし、どんな対応がただしいか、
いちがいにはいえない。
民族性・地域性もあるだろうし、時代によってもちがいそうだ。
けっきょくは主催者が、その映画会をどんな会にしたいかによる。
その映画館が、どんなお客さんを対象とかんがえるか。
映画を厳密にとらえ、すこしでもおくれたらだめなところもあるだろうし、
ゆるゆるの規則にして、お客さんの敷居をひくくするかんがえ方もある。
わたしがすきな「劇団ハタチ族」は、
「なんでもありですよ」というやり方だ。
お客さんはなにをしてもいいそうで、
携帯電話をつかってもいい、といっていた。
そうやって「なんでもあり」とすべてをみとめ、
自分たちの演じる劇は、お客たちが真剣にむかいあうに値するかどうか、といかけているのだ。
島根県民会館の方針は、客がおくれてはいったとしても、
映画をみる権利を保障しようというものだ。
それはそれですばらしいけれど、
どうしてもさきにすわっていたひとには迷惑がかかる。
映画がはじまるまえに、おしゃべりはやめてとか、
携帯電話の電源をきれとかのマナーをもとめるのだから、
おくれてきた客にも それ相応の協力をもとめたらいいのにと わたしはおもうけど、
島根県民会館は、そうかんがえない。
わたしのまえにある選択肢は、
こまかいことはいわないで我慢するか、
自分にあわない会だとわりきって 会員をやめるかだ。
こうした苦情はどう処理したらいいのだろう。
出入口にいた職員に わたしのかんがえをつたえるだけでなく、
事務局にも抗議したほうがいいのかもしれない。
おくれてきた客への対応が すぐにはかわらなくても、
そうした「親切」に不満をもつものがいることをつたえられる。
こんな理由で会をやめるひとがいることを
事務局がしるのにも 意味がありそうだ。
わたしとしては、おかしな「サービス」への不満がたかまって、
会員がどんどんへればうれしいけど、
ちかい将来には ありそうにない。
おくれて映画館にはいらないという「常識」は、
どれだけ共通の認識なのだろう。
映画館とちがい、県民会館での上映会は、
まったく情報をもたない作品や、
めずらしい作品をみせてくれるので、
月にいちどの上映をわたしはたのしみにしていた。
でも、いやなおもいをしてまでいくことはないので、
会員をやめることにする。
できるだけ機嫌よくすごすためには、
自分にあわないものとは かかわらないほうがいいだろう。
会の方針が、わたしのかんがえとはちがっていたと、わりきるしかない。
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