へー、タダでカリオストロをみれるんだと感心し、
ほんの最初だけのつもりでクリックする。
まさかとおもったけど、ついさいごまでみてしまった。
もうなんどもみており、
セリフもおぼえてるぐらいなのに、
またみてしまうなんて バカみたいだ。
もちろん「ちょっと」でやめるつもりでいた。
でも、ずっとすばらしい場面がつづくので
くぎりをつけられない。
オープニングをみてしまうと、
けっきょくさいごまでつきあうことになる。
自分でみておきながら、しんじられない魔力だ。
この作品に、わたしはずいぶん影響をうけた。
ルパンはどろぼうであり、会社にいって給料をもらうひとではない。
「つぎの仕事がきまったぜ」というセリフにあるように、
そのときどきで、おもしろそうな事件に首をつっこむ。
おおきな仕事になりそうなときはチームをくむ(五右衛門をよぶ)。
究極の旅行はカリオストロスタイルだ。
ちいさな車にカップメンや毛布をつんで移動する。
かといって、仕事には熱心にうちこまなくてはならない。
銭形警部と部下たちの勤勉さには、
日本人ならではの はたらきバチの血が かきたてられる。
そして、ひとはやさしくなければならない。
次元と五右衛門の身をあんじ、
ひとこえかけてから時計台へむかうクラリス。
クラリスのようなひとにであったとき、
相手にふさわしい りっぱな人間でありたいと
わたしはおもっている。
セリフもすばらしい。今回のお気にいりは、
不二子がクラリスの部屋をたずね、おわかれをいう場面。
もうちょっといるつもりだったけど、
ルパンがきたでしょ、
めちゃくちゃになっちゃうから、もうかえるの。
かるいセリフにおもえるけど、このなかに、
ルパンと不二子との関係、
不二子が仕事にもとめるまともさなど、
複雑な気もちがこめられている。
ルパンがからんでくると、ろくなことにならないので、
「もうかえるの」がいちばんただしい判断なのだろう。
みおわったあとのすがすがしさがここちいい。
「ドロボーはまだできないけど、きっとおぼえます。
いっしょにつれてって!」
とルパンにせがむクラリス。
やっと一件落着したところなのに、
さっそくルパンたちをおいかけだす銭形と部下たち。
「いいこだったなー」という次元のことばに
クラリスへの全員の気もちがあらわされている。
クラリスとわかれ、神妙な顔をしているルパンに
バイクにのった不二子が声をかける。
「ルパンみてわたしの獲物」(といって偽札の原版をしめす)。
うしろからサイレンをならした銭形たちの車がちかづいてくる。
「ルパン!こんどこそにがさんぞ」
また気のしれた仲間たちと、
おなじみのおいかけごっこがはじまる。
むこうに地中海のあかるい空と海がみえ、「完」の字がかぶさる。
絵にかいたような大団円だ。
まるで旧シリーズのルパン三世をみているような、
というとほめことばになってないけど、
ほんとうにあのシリーズのルパンは
10歳の少年に カリオストロみたいな
すがすがしい気分をあじあわせてくれた。
カリオストロによる影響は、
旧シリーズのとき すでに芽がでていた。
ルパン的であるのは、
カリオストロをなんどもくりかえしてみることではない。
とはいえ、この作品のできがよすぎるのだ。
みはじめると、今回のように ついさいごまでつきあってしまう。
そのたびに いつもいい気分にひたれるのだから、
バカみたいとおもいつつ、なんどもおなじ道をたどる。
やはりこれは とんでもなくすぐれた作品といわざるをえない。
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