2015年09月07日

ただしいまちがえ方

NHK-HMで『気軽にクラシック』をきいていたら、
演奏をまちがえたときのはなしがでた。
まちがっちゃいけない、とちぢこまるよりは、
まちがえるのはしょうがないのだから、
そのあとをどうカバーするかが大切なのだという。
もうひとつ、まちがえない演奏がいいかというと、
かならずしもそうではない、ともいわれる。
わたしがすきなかんがえ方だ。
まちがってもいい、というのではないけれど、
それくらいおおきくかまえたほうが いい演奏につながるらしい。

「ほぼ日」でわたしがたのしみにしているコーナーに
「今日の言いまつがい」がある。
ちからがはいったり油断してると
ひとはかんたんに言いまつがう。
でも、このコーナーに投書される記事のおおくは
ただたんに言いまつがっただけだ
(「停まってるクルマ」を「くまってるとるま」といったとかいう)。
「今日の言いまつがい」コーナーなのだから、
けしてまちがってはいないのだけど、
「肩をふるわせて笑いをこらえた」なんていわれても、
なぜそんなにおかしいのかピンとこない。
ただいいまちがえただけじゃないか。
その場にいあわせたひとの琴線にふれるのが
わたしには不思議におもえる。

わたしがすきな「言いまつがい」は、
まちがいはまちがいでも、
単純な「言いまつがい」ではなくて、
くちにした本人が 本気でおもいこんでいる確信的なまちがいだ。
久々に恋をした思いを、
手帳に、こうつづりました‥‥。
「変って、やっぱいいな」
間違えるほど久々すぎる恋でした。
(もち)
とか、
先日、娘が気持ちよさそうに『鉄腕アトム』の歌を口ずさんでいました。
「♪丘を越えて〜ラララ星の彼方〜♪」
おいっ!丘を越えても星の彼方には行けないぞっ!
(も)

目にはいったなにかにひっぱられて、
という「まつがい」もおかしい。
私が帰宅すると、夫がテレビでサッカーを観ていました。
「どこ対どこ?」と聞くと、「日本対コロッケ」
見ると夫はコロッケ弁当を食べていました。
本当は「日本対トルコ」。
(サトエミ)

クラシックの演奏についてはなしをもどすと、
ソロのときはまだしも、
なんにんかの演奏でまちがったとき、
精神的なショックをひっぱっていると、
まわりにも迷惑だという。
そのときの対処法は、残念ながらききのがした。
なかったことにする、しかないような気がする。
そのあとじょうずにごまかして、
まわりのほうがまちがっているようにみえるようになると、
ほんとうの一流演奏家なのかもしれない。
とはいえ、それはそれでまわりに迷惑なテクニックだ。

演奏で、単純なまちがえをつくろうよりも、
おもいこみによる確信的なまちがえを
なんとか工夫してのりきるのとは 難易度に差がありそうだ。
創造的な演奏は、もちろん確信的なまちがえから生まれる。
まちがえることを前提に、
たとえまちがったとしても
チームでそれを創造的にいかすのが
ただしいまちがいなのだろう。
ビートルズの演奏だって、
コピーするときは 演奏のまちがえまでも 再現するのだから、
それだけ味のあるまちがえになっている。
ただしいまちがえ方が、たしかにある。
わたしは
「まちがえない演奏がいいかというと、
 かならずしもそうではない」
という発想に創造の芽をかんじとる。
ただしいまちがえへの 勇気ある一歩をみとめた
「きらクラ」のおふたりに、おおきな拍手をおくりたい。

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posted by カルピス at 14:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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