さきのことはわからないよ、みたいなことをかいた。
いまはうまくすすんでいても、それがこのままつづくわけではない。
それだけに、将来をみこしたうごきが大事だ、なんて。
なんだか妙にもっともらしいのにあとで気づいた。
ゴールこそがスタートだなんて、
われながらこそばゆい。
くるしまぎれのすてゼリフみたいなものなのに、
将来をにおわせただけで、いろんな角度から、
複雑にものごとをとらえているようにみえる。
いったものがちの ずるいやり方だ。
内容ではなく、雰囲気でごまかそうとしているんじゃないか。
反対に、過去をほじくりかえしていると、
せこそうな記述にみえる。
ちまちまとむかしの情報をもちだして「いま」とくらべ、
ぜんぜんちがうじゃないかと指摘したり。
あんまりあかるい性格にはおもえない。
将来にふれるともっともらしいのに、
過去をふりかえるのはくらい。
よみかえしてみると、わたしは記事をしめくくるときに、
ちかい将来についてふれる日がおおい。
無意識のうちに いいかっこうをしたいのだろう。
お手軽にまとめられるし。
将来や過去を話題にするよりも、
「いま」をだいじにしたいとわたしはおもっている。
おもっているはずなのに、じっさいはしょっちゅう
「ちょっとさき」に目をむけており、
ただ観念的にいまが大切といっているのがすけてみえる。
とはいえ、家族や同僚が、いまだけに目をむけたら
あんがいやっかいなのではないか。
できるやつ、とみなすよりも、
視野のせまさにわたしはいらつくような気がする。
このままではよくない。
徹底的に「いま」ばかりのひとがいたら
わたしはたかく評価しよう、
というのも「いま」じゃないな。
スポンサードリンク