2015年10月12日

カツ丼のお店がおやすみだったらどうするか

イネかりをするつもりだったのに雨がふりだす。
きのうまでずっとお天気がつづき、
あしたからもまたはれの予報なのに、
きょうだけが雨なんてずいぶんひどい。
イネかりをするつもりでお弁当をつめ、
きがえを用意して、さあこれからでかけようとするときに、
手つだいをたのんでいたしりあいから
電話がかかってきた。
雨ふりだから、きょうはやめようと相談される。
たしかに無理してきょうやる必然性はない。
天気のことばかりはどうしようもないので
あすまたしきりなおしとする。
そうはいっても、きゅうな中止はがっくりくる。

なにかの本で、たとえばカツ丼をたべようと
ずっとたのしみにしていたのに、
めあてのお店がおやすみだった、なんてことになると、
からだがカツ丼をたべる体勢にはいっているのを
なかなかきりかえられない、とかいてあった。
カツ丼がなければラーメンで、とは
すんなりからだが、というかあたまが納得してくれない。

椎名誠さんの『哀愁の街に霧が降るのだ』には、
まさしくそのたのしみにしていた
カツ丼のお店がやすみだったために、
呆然となるはなしがでてくる。
かわりの店にいくつもりはない。
その店のカツ丼は、とくべつだった。
うまさと量と説得力が、ほかの店とはまったくちがう。
からだが、その店のカツ丼にすっかりなりきっていた。
ほかの料理では もちろんかわりがつとまらない。
どうしようもなくて いらだっているときに、
沢野さんが自分たちでカツ丼をつくれば、と提案する。
まったくかんがえてもみなかった解決策であり、
みんなその案に賛成する。
お風呂にはいり、ふとんをほして体調をととのえ(たしか)、
一糸みだれぬ分業のもとに、
ありえないほど超ごうかなカツ丼ができあがった。
満腹になって めでたしめでたし、というはなしだ。

なにかのからだにいったんなってしまったら、
ごまかしはきかないので、
椎名さんたちみたいに、まったくちがう方向から
解決をはかるしかない。
イネかりにむけて準備されたからだとこころを、
どうやってきげんよくべつのコースに着陸させるか。
わたしの場合は、ふたり分のお弁当をつめ、
作業着にきがえ、これから家をでるというときの中止だった。
ウォーミングアップがおわり、
やる気満々だったところではしごをはずされた形だ。
からだがちゅうにういてしまった。

まったく予定を空白にしてしまうと、
あいた時間をもてあまして あきらめがつかない。
とにかくなにかをしなくては、
このままずっとやさぐれた日になってしまう。
わたしにおけるカツ丼づくりはなんだろうか。
映画なんかがいいかもしれない。
きゅうなさそいにつきあってくれる女性はいないので
(きゅうでなくてもいない)、
ひとりで座席にすわったら さみしくなるだけだろうか。
それでつまらない作品にあたったら ますますすくわれない。
からだをうごかすという意味で、
サイクリングもひとつの案だけど、
イネかりのかわりはつとまらない。
かといって、本にも気もちがむかわないだろう。
雨でイネかりがとりやめになると、
おもっていたよりもずっと修正がむつかしい。
イネかりは、イネかりによってしかすくわれない。

中止がきまったとたん雨がやみ、
空があかるくなってきた。
きょうはどんないちにちになるのだろうか。

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posted by カルピス at 09:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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