『帰ってきた炎の営業日誌』(「web本の雑誌」)で杉江さんが絶賛していた。
土曜日に借りて観た『桐島、部活やめるってよ』があまりに衝撃的に素晴らしく、いっときも頭から離れない。
ほとんど映画を観ない人間だけれど、この映画が傑作なのはわかる。そして今後どんなにたくさん映画を観たとしてもその評価は変わらないだろう。傑作というのはそういうものだ。
http://www.webdoku.jp/column/sugie/2015/09/07/225849.html
そんなにいうならと、
まず朝井リョウさんの原作をよみ、
そのあとでDVDをかりてきた。
原作は、まえにいちど手をだしたものの、
ついていけずに とちゅうでなげだしている。
あらためてよんでみると、こんどはスルスルっといけた。
「桐島」はでてこないのに、いない彼をめぐるおもわくで
生徒たちがなにをかんがえているかをうかびあがらせる。
いま高校生でいるのって、たいへんそう。
これは傑作だ。
映画は原作をじょうずに映像化している。
とちゅうまでは ほぼ原作のまま、
後半からは、映画としてかなり自由に。
男子も女子も、いけてるようにみえるグループも、
ださくてまわりから相手にされていない生徒たちも、
あたりまえながらだれもが複雑な内面をかかえている。
もし原作をよんでなかったら
わたしはこの映画をまったく理解できなかっただろう。
「女子はたいへんなんだ。わたしも女子だけど」
とかすみがいう。
女の子たちがかわいい存在であるために、
どれだけの無理な圧力が まわりや自分におよんでいるのか。
無理なかわいさは、ゆがみをもたらさないわけがない。
梨紗をみてると、あまりにも完成されたかわいさで 不自然なほどだ。
この状態をたもつのって、そうとうたいへんだろうなー、とおもう。
映画部のどーでもいいかんじがおかしかった。
剣道部の部室の、そのまた奥に、
のれんでわけられたせまいスペースが彼らの部室だ。
前田くんと武文がのれんをくぐると、
10人くらいのウザそうな部員がすわっていた。
その日がべつに特殊なあつまりだったのではなく、
それが彼らのごくふつうの部活風景なのだ。
きみたち、居場所があってよかったね、とおもう。
彼らがゾンビ映画を撮影していると、
「桐島」をさがしに たくさんの生徒たちが屋上にやってきて
現場がめちゃくちゃになる。
逆上した前田くん(監督なのだ)が映画部員たちにむかって
「こいつらみんな食いころせ!」と命令し、
ゾンビの彼らがほかの生徒たちにおそいかかる。
前田くんのかまえるカメラには、
完成されたときのリアルなゾンビ映画がうつっている。
前田くんがとりたかったのは、こういう作品だったんだ。
しょぼい撮影小道具しか準備できない
現実とのギャップが青春だった。
みごとに原作の世界を消化し、
さらにあたらしい魅力をくわえた吉田大八監督と、
リアルな学校生活をみせてくれたスタッフをたたえたい。
映画化は、とてもむつかしい原作だとおもうのに、
複数のカメラをつかい、じょうずにクリアーしている。
映画だけをみて、なんのことかわからなかったひとは、
原作を参考に、もういちどみるようおすすめしたい。
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