ラオスやカンボジアの発展がとりあげられていた。
均質化がすすみ、「普通の国」化がいちぢるしい、という内容だ。
柴田直治特派員によるこの記事に、
梅棹忠夫さん・村上春樹さんと、
わたしのすきなおふたりの名前があがっている。
梅棹さんは、50年以上まえのインドシナ半島で、
自動車による調査旅行をおこなっている。
当時のラオスはまだ非常にまずしく、
首都のビエンチャンにさえ
上下水道・新聞・鉄道がないと
梅棹さんはおどろいている。
しかし、いまはメコン川の開発などで、
ラオスはすさまじくさまがわりした。
メコン川沿いに軒を並べた屋台はかなりの数がしゃれたレストランに衣替えし、大型モールもできている。東南アジアの最貧国という呼称はもうしっくりこない。
この変化は、梅棹さんをもってしても
予期せぬことだったかもしれないと、
柴田氏はかんじている。
村上さんは来月に紀行文集をだす予定で、
そのタイトルが、
『ラオスにいったい何があるというんですか?』
というらしい。
このタイトルが、なにを意味するのかはわからない。
しかし、ことばどおりにうけとめると、
ラオスの現状をしるひとにとって、
ピンとこないタイトルかもしれない。
旅行者は、ラオス=辺境のイメージにそって(あるいはひきずられ)、
なにもないラオスをありがたがる。
ラオスの旅行記は、メコン川の開発にふれるにしても、
「普通の国」としてのラオスはわずかで、
メインは素朴でむかしのままのくらしとなる。
きょねんわたしがラオスをたずねたときもそうだった。
気にいったのはカンボジアとの国境にちかいシーパンドンで、
自然がうりものの地域だし、
ビエンチャンにはたった1日しかおらず、
デパートなんかにはもちろんいかない。
発展したラオスよりも、
発展してないラオスをもとめていた。
村上さんは、ラオスのどこをおとずれ、
なにをかんじたのだろうか。
梅棹さんがラオスをたずねたとき(1957年)は、
ビエンチャンからルアンプラバンまで飛行機をつかっている。
ジープならいけないことはないが、
すごく時間がかかるので、
現実的なのは飛行機による移動だった。
それがいまや国じゅうをバスがはしり、
ルアンプラバンはしずかな古都というよりも、
いちばんの観光地になっている。
わたしはラオスを旅行するあいだ、
梅棹さんの『東南アジア紀行』をときどきひっぱりだした。
50年以上もむかしの旅行記なので、
かわってあたりまえとはいえ、
なにもないころのラオスをみたかった。
「普通の国」化が東南アジアの各地ですすんでいる。
そして日本もまた アジアにおいて圧倒的な存在ではなく、
「普通の国」となった、というのが柴田氏の指摘だ。
辺境をもとめてラオスをたずねるにしても、
「普通の国」としてのラオスもまた
よくみておいたほうがいい。
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