2015年11月04日

白鳥にお茶がらをあつめたころ

近所のドブ川に、2羽の白鳥がうかんでいた。
きれいな白鳥と、まったくきれいでない川との差が目をひく。
わざわざこんなよごれた川に
こなくてもよさそうなのに。
そういえば、小学生のとき、
白鳥のエサとしてお茶がらをあつめて学校へもっていった。
シベリアからとんできて、お腹をすかせた白鳥を、
みんなで歓迎しましょう、みたいな趣旨だったとおもう。
子どもたちがお茶がらをあつめると、
いかにもうつくしいはなしにきこえる。
ネットをみると、新潟県の瓢湖が
お茶がらあつめのおこりだという。
ここではほかにもくず米やパンくずがあたえられているそうだ。
「茶壺 (茶皮) を 白鳥に給与 した結果 と知見」という、
http://www.tml.co.jp/jswan/pdf2/5-11.pdf#search=%27%E7%99%BD%E9%B3%A5+%E8%8C%B6%E3%81%8C%E3%82%89%27
論文みたいな記事もあがっている。
ここではお茶がらをたべることが、
白鳥にあたえる生理的な影響についてかかれていて、
お茶がらといえども学問の雰囲気がただよう。

しかし、そもそも白鳥に食事を提供する行為は、
はたしてただしいのだろうか。
野性の動物をえづけする根拠はなにか。
お茶がらやパンくずにつられて、
たとえばカモがやってきた場合には、
どんなあつかいをうけるのだろう。
神社のハトや池のコイにエサをあたえるのとおなじと
わりきっていいのだろうか。
白鳥が、もしうつくしい姿を理由に優遇されているとしたら
へんなはなしだ。
きっと白鳥のえづけにも推進派と反対派がいて、
それぞれがしんじる理由から
エサをあげたりあげなかったりしているのだろう。
エサよりも、白鳥にてきした環境をまもるほうが
大切ではないかと わたしはおもう。

米子の水鳥公園へいったとき、
巣からおちてまいごになっている野鳥のヒナを、
たすけてはいけないと、ポスターにかいてあった。
人間がヒナをさわってしまうと、
親鳥が世話をしなくなるらしい。
そんなふうに根拠をしめされると納得できる。
野性の動物とのつきあいは、
ヒューマニズムではやっていけないだろう。
いまでも小学校はお茶がらをあつめているのだろうか。
白鳥へのえづけは、すっきり説明されているのろうか。

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posted by カルピス at 16:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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