1回目は「ついにわかった!予防への道」として、
最近の研究が紹介されている。
2回目は「最後まで、その人らしく」。
認知症と診断されてもけして「おわり」ではなく、
「その人らしく」生きられる環境が ととのいつつあるという。
予防については、軽度認知症の段階でとりくめば、
進行をくいとめたり、改善できるそうだ。
認知機能をたかめるには、はやあるきが効果的といい、
かるい筋力トレーニングとあわせ、
週になんどかの運動をすすめている。
有酸素運動と筋力トレーニングは、
いつもわたしがやっている生活習慣なので、
それが認知症予防に効果があるのは
すごくありがたい。
2回目の「最後まで、その人らしく」では、
出雲市のデイケア「小山のおうち」が紹介された。
認知症の方におもっていることをかいてもらうと、
ふだんはことばにされることのない
かなしさ・さみしさが文字にされ、
ゆたかな感情がたもたれているのがわかる。
わたしよりもずっときれいな文字で、
漢字もたくさんつかった文章だ。
まわりから認知症だとさげすまれたり
あたまごなしにしかられると、
「こころ」がきずつけられている。
そのつらさや不満が 暴力や徘徊となってあらわれる。
認知症の方が、みかけよりもずっと
ものごとをかんじているのにはおどろかない。
なにもわからないと きめつけるほうが
どうかしているのではないか。
しかし、わかっていても
おなじことをなんどもくりかえしたり、
理解にくるしむうごきをとられたら
つきそう側は だんだんまいってくるだろう。
いわれるほうにしても、
「はやくねなさい」「何回いったらわかるの!」なんて
自分のおもいとちがうことをきめつけられたら
だれだってストレスがたまってくる。
そんなときに、すこしずつでいいから
相手をうけいれる対応をこころがけていくと、
おたがいの関係がずいぶん楽になるそうだ。
わすれてもいいんだ、とおもえたら
安心してくらしていける。
当事者として社会にかかわろうとする人たちも
それぞれのやり方で活躍されている。
ひとつの例では、認知症であっても自分をみとめてほしいと、
市役所に相談をもちかけたのがきっかけとなった。
いまでは富士宮市ぜんたいのとりくみとして
認知症の方を支援するしくみがひろがっている。
わかくして認知症を発症したかたに、
デイサービスなどの老人にむけたサービスを紹介しても、
その方がもとめる支援にはならない。
行政の適切な判断が、
認知症の方のすみやすい町づくりへつながった。
認知症のかたがすみやすければ、
だれにとってもすみやすい町だろう。
障害者介護とおなじで、
めざすのは町づくりといえる。
認知症というと、記憶をうしなうおそろしさから
もうおわりとばかり きめつけていたけれど、
ずいぶん失礼なおもいこみだった。
ひとりで有酸素運動ばかりせずに、
支援する側にもまわりたい。
それやって町づくりに協力するのが
ゆくゆくは自分のためにもなる。
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