2015年11月30日

『かぐや姫の物語』みたことのないこまやかなうごき

『かぐや姫の物語』(高畑勲:監督・2013年・日本)

はじめからおわりまで、おもしろくみれた。
それがこの作品の、なによりもすぐれている点ではないか。
だれもがしっている古典を題材に、
まったくあたらしい世界をしめすのが
たやすいわけはない。
この作品は、ひじょうにたかい演出力と、
これまでにない作画によって、
みたことのない世界をつくりあげている。

・場面によって別人のようにかわる かぐや姫の表情
・いままでみたことのないなめらかなうごき
・都でのくらしぶり
・「高貴な方たち」のたちふるまい
・ゆたかないのちにあふれている野山

これらを表現するのに、実写ではむつかしい。
赤ちゃんのはいはいなど、ほんものより ほんものらしかった。
のびやかなうごきに生理的な快感をおぼえる。
アニメでなければできないけれど、
これまでのアニメのうごきではじゅうぶんではなく、
この作品にはあたらしい作画がもとめられた。
そうでなければ『日本昔ばなし』になってしまう。

なんだか気になるのが おつきの女性「女童」(めのわらわ)だ。
あのキャラクターデザインは、
『かぐや姫の物語』の世界観をあらわしている。
都には、こころのあたたかな、ちゃんとした人間もいるのだ。
ほとんどセリフがないのに 存在感があり、
彼女がいるおかげで かぐや姫と媼(おうな)は
「高貴な方たち」とのくらしをうけいれられた。

月からおむかえがくる場面がたのしかった。
ラテン的なあかるい音楽をかきならし、
わっしょい わっしょいと月からの一行がおしよせる。
かぐや姫をつれさられるとしり、
しんみりと、かなしがるのは人間たちのかってだ。
地球でのことなど、どうせすぐにわすれてしまうのだからと、
彼らはものすごくドライに仕事をはたそうとする。
月のひとたちにとって 地球にむかうのは
ときどきおとずれる 一大イベントなのかもしれない。

これだけたかい表現力の作品をみられるのはしあわせだ。
そのいっぽうで、8年もかけてつくったという舞台裏をしると、
さぞたいへんだったろうと いうしかない。
高畑氏にまかせたら、
スケジュールどおりにすすむわけがないのだけど、
それにしても8年はすごい。
こんなやり方で作品がつくれたのは、
いろいろなありえない条件が
たまたまかさなった奇跡なのだろう。
よく関係者の協力に感謝することばがきかれるけど、
この作品こそ「関係者の尽力」をたたえるのにふさわしい。
よく8年もまちつづけ、まかせつづけたものだと
関係者のみなさまに感謝したい。

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posted by カルピス at 16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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