2015年12月11日

『ONCEダブリンの街角で』うつくしい主題歌が 耳からはなれない

『ONCEダブリンの街角で』
( ジョン=カーニー:監督・2007年・アイルランド)

ダブリンのまちかどで、
男がいつものようにギターをひきながら
自分でつくった曲をうたっている。
ひとりの女性が曲にひかれ はなしかけてきた。
男ははじめ女性をじゃけんにあつかっていたが、
みじかいやりとりをするうちに
しだいにうちとけていく。
女性はチェコからきた移民で、
ピアノをじょうずにひき、自分でも曲をつくっていた。
音楽をつうじて ふたりの気もちが かよいあってくる。
自分の曲でデビューする夢をかなえようと、
男はプロモーションCDをつくり、ロンドンでうりこもうとする。

ストーリーをかくと、
よくありがちな若者の 夢ものがたりみたいだけど、
うたわれている曲がすばらしく、作品をリアルにしている。
映画のなかでなんどもうたわれるので、
耳についてはなれなくなった。
この曲をうろうとするのは、おろかな願望ではなく、
リスクをかけるだけの値うちがあると おもわせてくれる。

みるからにお金のかかってなさそうな作品で、
ドキュメンタリーかとおもった。
男も、移民の女性も、
いかにもお金に縁がなさそうだ。
「まずしい」と表現されてはいないけど、
わずかなお金を大切にしくらしている。

わたしはこうした貧乏なはなしがすきみたいだ。
中高年の貧乏は絵にならないけど、
若者がすくないお金をやりくりするのはただしい。
この作品で印象にのこるのは、
「貧乏」な場面だ。
男にもらったCDを女性がきいていると、
ポータブルプレーヤーの電池がきれてしまった。
しかし彼女の家にある電気製品には、代用できるものがない。
「あとでかえすから」と
むすめの貯金箱から小銭をだして女性はコンビニへいく。
乾電池をかうとすぐにCDをスタートさせ、
曲をくちずさみながら家にかえる。

レコーディングするのにも、じゅうぶんなお金はない。
3000ユーロといわれたスタジオ代を2000にねぎり、
銀行にかけあって金をかり(担当職員のまえでうたって説得し)、
うでのたちそうなストリート・ミュージシャンをさそい、
自宅でリハーサルをし、
ようやくレコーディングにこぎつける。
じゅうじつしたレコーディングのもと、CDができあがった。
男はCDを手に、ロンドンへでかけようとする。
女性もさそったけど、なんとなくかわされてしまった。
男にとって、これからは曲のうりこみという、
つぎのステージがはじまる。

この作品は、制作費が15万ドルなのだという。
「貧乏」は作品のなかだけでなく、
製作そのものが「貧乏」ななかでおこなわれた。
それでもいい作品にしあがったのは、
音楽の質のたかさが説得力をもたせているからだ。
にたような作品はつくれても、
ふたりがうたう場面だけは どうにもマネできない。
作品全体からうける印象が、
リアルだけど どこか現実でないかんじがするのは、
チェコからきた女性の 不思議な雰囲気のせいだろう。
やさしくて ちからづよい主題歌が、
彼らのよろこびとかなしみといっしょになって、
いつまでも頭にのこる。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 16:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック