2015年12月13日

『イングロリアス・バスターズ』ナチをたおしても、素直によろこべない

『イングロリアス・バスターズ』
(クエンティン=タランティーノ:監督・2009年・アメリカ)

第二次大戦中の、ドイツが占領していたフランスを舞台に、
ナチによるユダヤ人がりと、
アメリカ軍の特殊部隊によるナチがりをからめている。

パリの映画館で、ドイツ軍の高官があつまっての
上映会をもよおすことになった。
そこでの破壊工作をめぐり、ナチ・特殊部隊・ユダヤ人の
かけひきがくりひろげられる。
タランティーノだから
えげつないシーンがあると予想(期待も)していたけど、
わたしの精神にはおもすぎるグロさだった。
これまでみたことのないタイプの暴力がテーマとなっている。

冒頭で、田舎にある1軒の農家を、
ユダヤハンターの異名をもつ ランダ大佐と部下たちがおとずれる。
農夫は、ユダヤ人の家族をかくまっていた。
大佐は礼儀ただしく農夫にせっしながら、
たくみなといかけで だんだんとおいつめていく。
表情ゆたかな話術はチャーミングですらあり、
じっさいに手をくだす残虐さとのギャップがきわだつ。
この作品の魅力をたかめているのは、
ランダ大佐の いかにもナチ的な上品さだ。

アメリカ軍の特殊部隊を指揮するのが
ブラッド=ピットえんじるレイン中尉で、
「ドイツ野郎の頭の皮を100枚はげ」と
およそブラッド=ピットらしくない
残酷な任務を部下にめいじている。
特殊部隊によるナチがりといっても、
対象は ユダヤ人の弾圧にかかわった
ゲシュタボや親衛隊だけではない。
彼らにとって、あいてはドイツ軍の兵士ならだれでもいいわけで、
軍人として勇敢にふるまうドイツ兵にさえ、
たのしみとしてバットをふるい たたきのめす。
戦争だからしかたなくあいてをころすのではなく、
彼らは残虐な行為に爽快感をおぼえている。
ユダヤ人を迫害するナチにやりかえすのだから、
いい気味だと よろこべるかといえば、
そうかんたんに気もちはおちつかない。
レイン中尉は 自分たちを開放したドイツ兵にむけて、
まったくためらわずにひきがねをひく。
彼がどれだけいかれた人間かをみせつけられ、
ランダ大佐はびびっていた。

この作品のあと味が いまひとつすっきりしないのは、
先月パリでおきたテロ事件とかさなるからだ。
映画館に数百人のドイツ軍高官をとじこめて
銃を乱射する場面をみたひとのおおくは、
パリのコンサートホールやレストランでおきた
かなしい事件をおもいうかべるだろう。
戦争中だから大義名分のたつ特殊部隊の行為と、
ISがおこなったテロと どれだけのちがいがあるだろう。
にくいナチをやっつけたと、
素直によろこぶ気にはなれなかった。
彼らはまったくイングロリアス(名誉のない)なやつらだ。
タランティーノ監督は、ただ暴力をえがきたくて
この作品をつくったはずがない。
ユダヤ人を迫害するナチはたしかにひどいけれど、
彼らとおなじように冷酷な行為を、
正義のはずの連合軍がふるっていた。
たとえユダヤ人への迫害がからんでも、
暴力に「ただしさ」はもとめられない。
さいごまでつよくひきつけられる
じょうずにつくられた作品とはいえ、
爽快なアクション映画としてはみれなかった。

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posted by カルピス at 16:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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