(アルフォンソ=キュアロン:監督2013年・アメリカ)
いまさらだけど『ゼロ・グラビティ』。
もっとも、わたしがかくのは「いまさら」の作品ばかりだ。
話題作なので、ハリウッド的なゴテゴテてんこもりの、
おもしろいけど「どうだ、おどろいたか!」
が鼻につく大作かとかまえていたら、
すごくすっきりつくってあった。こりゃ、すごいわ。
オープニングでは、なんの状況説明もないまま
数人の飛行士が宇宙船のまわりで なにやら仕事をしている。
ただそれだけなのに、無重力状態のリアルさにひきつけられる。
ことばでの説明なんて必要ない。
画面をみているだけで、無重力がどんなに特殊な状態なのかがわかる。
そして、沈黙の宇宙からみる 圧倒的にうつくしい地球。
とつぜんふりかかったアクシデントにより、
女性飛行士が宇宙にひとりでとりのこされる。
とびきりたよりになる上司とも、はなればなれになってしまった。
彼女はこれからどうやって地球にかえるのだろう。
無重力状態は、これまでになんども映画でみてきた。
しかし『ゼロ・グラビティ』のリアルさはまったくべつの次元だ。
重力と摩擦がない宇宙では、
ある方向にいったんうごきはじめると、
ずっとそのままのいきおいがたもたれたまま とまらない。
「慣性の法則」なんてことばを ひさしぶりにおもいだした。
からだが回転すれば まわりっぱなしだし、
もしも宇宙船からはなれる方向にながされたら、
たとえどんなにゆっくりのスピードだったとしても、
自分のちからだけではもどれない。
海のなかを およぐようなわけにはいかない。
(以下ネタバレ)
結論からいえば、女性飛行士は
あんがいすんなりと地球にもどってこれた。
大気圏突入も意外とかんたんだ。
はじめてガンダムにのったアムロが、
マニュアルをめくりながら操縦したのをおもいだす。
ハラハラ・ドキドキのアクシデントをいくつもこしらえて、
もっとながくひっぱれるところを
この作品は 91分と、みじかくまとめている。
ものたりなかったわけではない。
どうしてもながくなりがちな大作路線にたいし、
『ゼロ・グラビティ』のすっきり感がこのましい。
この作品がもとめたのは、無重力状態のリアルな表現であり、
ハラハラ・ドキドキによるエンタメではなかったのだろう。
奇跡的に地球への生還をはたせば、
ふつうの作品なら愛と感動でおおさわぎ、という場面なのに、
『ゼロ・グラビティ』は ただ主人公が自分のちからでたちあがるだけ。
しかしそれが この作品にはいちばんふさわしいラストだとおもえる。
耳をすますと、まわりからは虫の羽音がきこえてくる。
地球にはいきものがいるのだ。
わかくうつくしい女性飛行士は、サンドラ=ブロックがえんじていた。
撮影当時49歳だったはずなのに、まったくそんな歳にはみえない。
目のまえにせまる絶望的な状況に、
全力をつくして対応する彼女がとても魅力的だ。
そういえば、サンドラ=ブロックはいつもこんな役のような気がする。
『スピード』でも『ザ・インターネット』でも、
不器用だけどいつも一生懸命にぶつかっていく。
この作品もまた、アクション映画というには
いくぶんしずかな作品でありながら、
女性飛行士の行動力と精神力につよく勇気づけられる。
宇宙にひとりのこされることをおもえば、
地球でのアクシデントなんて たいしたことない。
中国の宇宙船にはいったら、卓球のラケットがただよっていたし
(いくら中国人でも、さすがに宇宙で卓球はしないだろう)、
地球の湖では、あのふかさにいるはずのないカエルが
女性飛行士にキックのやり方をおしえてくれた。
こうしたあそびごころや、作品全体のすっきり感に、
アルフォンソ=キュアロン監督のセンスをかんじる。
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