2015年12月26日

めんどくささをおしえてくれたクリスマスケーキのイチゴ

わかいころ、農業研修というかたちで
1年間グループでの生活を体験した。
日中は畑や田んぼでいくつかの仕事にわかれ、
食事はメンバーが交代で15人分ほどをつくり、いっしょにたべる。
わたしはそんなにたくさんの量をつくったことがないので、
はじめはすこしとまどったものの、
あんがいそつなくこなしたようにおもう。
わたしだけでなく、男性のつくるものには
それぞれ個人の特徴があらわれて、たのしめる食事だった。

わたしの記憶では、あんがい女性のほうが
すごい料理をつくったような気がする。
女だからといって料理ができるわけではなく、
料理をつくるうちに だんだんとなれていく。
「女にうまれるのではない。女になるのだ」
というだれかのセリフは料理においてもまた事実だ。
男だろうと女だろうと、つくったことがなければ料理はできず、
つくりながらやり方をおぼえるしかない。

煮こみうどんをつくるときに、
お汁のなかにうどんの乾麺をそのままいれたら、
いつまでもやわらかくならなくて、
ひんしゅくをかった女性がいた。
ミネストローネはパスタをバキバキおって
スープのなかにいれるので、
この女性のつくり方は あながち まちがえではない。
でも、すくなくともうどんの乾麺については、
かならずゆでてからお汁にいれなければならないみたいだ。
メインの料理が煮こみうどんだったので、
かわりに主食となるものがなく、
おなかをすかせたメンバーたちはぶつぶつ文句をいった。
その女性は家庭科の先生の資格をもつひとだったので、
そんなこともしらないのかと、ますますまわりがいいつのる。
家庭科教師の資格なんかをもってると、
できてとうぜんとおもわれるので、なにかとたいへんそうだ。

クリスマスケーキとイチゴのおもいでも、
その女性が教訓としてわたしにのこしてくれた。
クリスマスにみんなでケーキをつくったとき、
てっぺんにイチゴをのせて できあがりとなる。
大切そうにケーキをイチゴでかざった
煮こみうどんの女性は満足そうだ。
でも、そんなにだいじにするものだから、
ひとりの男性が、いたずらでそのイチゴをたべてしまった。
はじめは冗談っぽく抗議していた女性が、
そのうちになきだしてしまい
ジワーっとなみだがあふれてきて、とまらない。
そのイチゴは彼女にとって
それだけ大切な「なにか」だったのだろう。
こういうのを「おんなごころ」というのかもしれない。
男と女の決定的なちがいを、
このイチゴはわたしにしっかりおしえてくれた。
男ならぜったいにわらってすませる場面でも、
女の子にとっては冗談ですまないことがある。
それにしても、イチゴをたべられただけで
おとなの女性がなきだすとは。
いまおもえば、この体験はただのイチゴにおわらず、
わたしの無意識に なにかをうえつけたみたいだ。
あーめんどくさい。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 10:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック