はじめはときどきだったのが、
そのうち文字をよむときには メガネがかかせなくなった。
3年間で、老眼がどんどんすすんだわけではないけれど、
このごろは ちいさな文字、たとえば ふるい文庫本なんかだと
すぐに目がつかれてしまい、読書にならない。
高齢者の割合がふえたためか、
新聞や、本の活字は以前よりもおおきくなっている。
老眼になったわたしにはたすかるものの、
すこしまえにつくられた本は どうしようもない。
ふるい文庫本は、1行に42〜43以上の活字がつめこまれており、
これぐらいこまかな字になると、
はじめにつくった老眼鏡では
すぐに目がつかれ、頭がいたくなってくる。
いまの文庫本は、1行に38〜39文字とすこしおおきめで、
このほんのすこしの差が老眼にはこたえる。
読書用にあたらしいメガネをつくるまえに、
きょねんホームセンターでかったメガネをつけてみた。
老眼鏡がなくなった緊急時のために 用意したものだ。
度がきつすぎるため、ふつうに文字をよむときに
このメガネをかけると、みえすぎてつかれてしまう。
一時しのぎだから、それでもいいやと、1000円ほどでかった。
ためしてみると、読書用にはこのメガネがぴったりだった。
ほかの場面ではつかえない。
純粋に読書のためだけのメガネだ。
つよい近眼の宮崎駿さんが、
身のまわり用、仕事用、読書用など、
5つものメガネをつかいわけるのが、
すごくめんどくさいとかいていた。
わかいころのわたしにはピンとこなかったけど、
ひとつの老眼鏡だけでは用をはたせなくなり、
読書に特化したメガネが必要になると
宮崎さんのいうことがよくわかる。
わたしは近眼がなかったので、
まさか自分が2つのメガネをつかうようになるなんて
おもってもみなかった。
老眼鏡は、英語でいうとリーディンググラスだ。
わたしはできるだけ英語をつかわない主義だけど、
メガネだけは老眼鏡よりも
リーディンググラスとよびたくなる。
「老眼鏡」なんて、ふとっているひとを「デブ」というみたいな、
マイナス面を強調する無神経なことばではないか。
酒井順子さんの『儒教と負け犬』(講談社)によると、
負け犬のことを韓国語で「老処女」、
中国語では「余女」というらしい。
あまりにも露骨な表現に、
当事者でないわたしでさえ 胸がいたくなる。
老眼鏡というよび名には、
老処女にもにた、人間疎外の発想がみえる。
これからわたしは本来的な意味あいにおいて
老眼鏡ではなく、リーディンググラスとよぶことにする。
老後の読書としてためこんでいるふるい文庫本が、
老眼のすすんだわたしには 宝の山になっていた。
ブックスキャンにだして、タブレットでよむのが理想的だけど、
めんどくさくて なかなか腰があがらない。
メガネの度をつよくするという、いちばんかんたんな方法で、
かなりの程度こまかな活字にたえられるのがわかった。
もうしばらくはタブレットではなく、このまま本のかたちで
ふるい本がたのしめる。
読書に特化したメガネをかけ、
ねるまえの本として
『夢果つる街』(トレヴェニアン・角川文庫)をひっぱりだす。
この本をよみだすまでは、
目がつかれるほどの こまかな活字の本をさけてきた。
『おすすめ文庫王国』で50代の読書にすすめてあり、
わたしにとって大切な本になるかもしれないので
なんとかよみたいとおもった。
度のあったメガネなら、目や頭がつかれずに
いままでどおりに活字をおえる。
2つ目のメガネはめんどくさいけど、
おかげで自由な読書をとりもどせた。
50代にすすめられた本がきっかけで、メガネの度をあわすのは
これでいいような、なんだか腑におちないような。
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