2016年01月01日

『夢果つる街』(トレヴェニアン)50代の必読書らしい

『夢果つる街』(トレヴェニアン・角川文庫)

『おすすめ文庫王国 2015』に、
50代の必読書としてすすめてあった。
わかいときによんでも「しみじみ感」がわからなくて、
もっとあとになると こんどは間にあわないらしい。
よみおえたいま、年代別の効果はともかくとして、
オールタイム・ベストにもランクインするくらい
すぐれた本だと ふかく満足している。

『夢果つる街』は、カナダのモンレアル
(英語よみではモントリオール)にある
移民たちのふきだまりの街、ザ・メインのものがたりだ。
アメリカや、カナダのほかの街ではなく、
フランス語圏という設定が、作品に独特の雰囲気をあたえており、
ザ・メインという街が影の主人公ともいえる。
ザ・メインは、チンピラや浮浪者もふくめ、さまざまな人々が
おたがいにおりあいをつけながらくらしている。
ザ・メインの微妙なバランスをたもっているのが
この地区を担当するラポワント警部補で、
よくもわるくもザ・メインの顔として
人々のくらしに目をくばる。
わかい男がさされる殺人事件がおき、
ラポワントは新人刑事のガットマンと捜査にあたることになった。

ところが、はじまったはずの捜査がなかなかすすまない。
ラポワントは街をぶらつきながら、ききこみをするのだけど、
いつまでたっても犯人像にちかづかない。
捜査線にうかんでくる人物は、
だれもがなにがしかの罪をおかしてはいるものの、
この事件の犯人ではなさそうだ。
犯人でないとわかれば かるくながせばいいようなものなのに、
この本はこまかな描写によってザ・メインの雰囲気をつたえている。
よんでいるうちに、この小説は、犯人さがしがテーマではなく、
ラポワントが ザ・メインへいだく 愛着をかいたものにみえてくる。

ラポワントは、ちからづくでにらみをきかせる ふるいタイプの警官で、
でもそれは自分の権力をたもつためではなく、
ザ・メインにくらす底辺のひとたちが
気になってしかたないからだ。
大学をでたばかりのガットマンは、
ラポワントのスタイルに反発をおぼえながらも、
しだいにザ・メインの特殊ななりたちを理解して
ザ・メインにはザ・メインのやり方があるとかんじるようになる。

ラポワントは53歳で、動脈瘤が原因の発作がときどきおこる。
いつまでこの仕事をつづけられるかわからない。
自分がそだってきたザ・メインを彼は愛し、
ザ・メインとともに生きた彼の人生は、
ザ・メインとともに くちおちてゆきそうだ。
ラポワント警部補とほぼおなじ年齢のわたしには、
おおくをのぞまなくなり、
自分にできることをこれまでどおりつづけるしかないという、
彼の人生観がよくわかる。
自分のスタイルは上司からふるいとおもわれてきたし、
動脈瘤もいつ破裂するかわならない。
それでもいまさらやり方をかえるわけにはいかないのだ。

捜査はきゅうな進展をみせ、おもわぬ犯人があきらかになる。
事件が解決してもラポワントの胸ははれず、
公園のベンチにひとり呆然とすわっている。
うしないつづけてきた人生に なみだがとまらない。
ラポワントは深い悲しみに沈んでいた。祖父を思い、リュシールを思い、モイシェをおもったが、何よりも・・・自分を思って。わが身を思って。


北村太郎氏の訳がこなれていて、
ラポワントのひとがらが 会話からよくつたわってくる。
この本にはコーヒーをのむ場面がおおい。
おいしそうなコーヒーだけでなく、
カスみたいなコーヒーを何杯もおかわりをする。
ふつうなら、よんでいるうちに
こっちもコーヒーがほしくなりそうだけど、
この本の場合はいちどもそんなふうにおもわなかった。
そのかわりにラポワントみたいに ひとにすすめたくなる。
「コーヒーでもどうだ?」

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posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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