きょねんは1月5日まで旅行にでていたので、
いまさら年賀状をつくるよりは、と
手紙にして寒中みまいのような返事にしたらすごく楽だった。
それに味をしめ、これからも手紙ですまそうとおもう。
手紙というと、いっけんやっかいだけど、
年賀状のデザインをきめたり
印刷するのだって、あんがいめんどくさい。
手紙のよさは、画一されたうつくしさと、
なんとなくもっともらしい雰囲気にある。
年賀状をやめてクリスマスカードを、というやり方があるとはいえ、
年賀状もだせない人間が、クリスマスまでに とどけられるわけがない。
その点 寒中みまいは、松の内をおえた
1月7日よりあとにだせばいいそうで、
おそくなりがちなわたしには なにかと都合がいい。
手紙のスタイルは、『知的生産の技術』で
梅棹忠夫さんが紹介されていたものを
そのままつかっている。
1969年のふるい本なのに、
手紙のかき方は、いまでもじゅうぶん参考になる。
まさに「技術」であり、形式をおさえたら
ちゃんとうつくしい手紙ができあがる。
右うえに日づけ、左うえにあて名をかき、
本文のしたにサインをいれる。
かくことがあまりなくても、
おきまりのあいさつをのべ、行間をひろくとったりすれば
なんとかかっこうがつく。
本文には、あたりさわりのないことを
ただ紙をうめるためだけにかけばいい。
用件よりも たよりをだしたという事実が大切なのであり、
いくつかの形式をまもりさえすれば、
だれにだしてもはずかしくない手紙が わたしにもかける。
内容は、もちろんコピー・ペーストがおおい。
型ができあがると、ほとんどのひとにおなじものをつかう。
ほんのすこし内容をかえるだけで、
だれにたいしても にたような手紙をかいている。
味けないようだけど、それは年賀状だっておなじだ。
問題はサインだ。
自分の氏名を漢字でかくだけなので、
字のへたくそなのがごまかせない。
芸能人みたいなサインはさすがにはずかしいけれど、
外国人がサラサラっとかくようなサインをきめてみたい。
梅棹さんは、サンショウウオににせた
すてきなサインをつづっている。
わたしもそんなサインがほしいとおもいつつ、
ずっと気のきかない「署名」をつづけてきた。
ネットをみると、ちゃんと
「サインのかき方」みたいなサイトもあるようだ。
シンプルでかっこいいサインを
わかいうちから 身につけておけばよかった。
スポンサードリンク