ものごとのはじまりのはなしがすきだ。
アフリカをでた人類が、どんなふうに
世界じゅうへひろがったかをおもうとワクワクしてくる。
最近はこれに稲作がからまってきた。
稲作は、どんな形でスタートし、
水田への田うえが一般的な方法となっていったのか。
稲作はどのようなかたちで日本にはいり、
どうひろがっていったのか。
稲作のまえに、農耕の起源がある。
ひとは、なんで土をたがやすなんて
めんどくさいことをはじめたのか。
よほど圧倒的に収量がふえなければ、
土をひっくりかえそうなんて おもいつかないはずだ。
だって、それまでだれも「たがやす」なんて
みたこともなかったのだから。
それでもあえてクワでたがやしたり、
牛や馬にスキをひかせたりしたくなるほど
必然的な作業に、いつからなったのだろう。
稲作にはなしをもどすと、
めんどくさい移植栽培、つまり田うえが、
稲作のはじめからおこなわれていたとはかんがえにくい。
タネをまくのにくらべ、ものすごく手間な田うえがひろがったのは、
それなりの理由があるはずだ。
よほど決定的なアドバンテージがなければ、
田うえはめんどくさすぎる。
米つくり=田うえなんて、おもいこみにすぎないのではないか。
わたしのなかでは縄文時代の農耕と、
照葉樹林文化としての農耕がいっしょになり、
そこに福岡正信さんの自然農法がくっついて
じかまき(タネまき)による米つくりが
もっとも自然な栽培方法として頭にこびりついた。
でも、池橋宏氏の『稲作の起源』をよむと、
根菜類をそだてるときにおこなう株わけの延長として
イネの株わけ(田うえ)がおこなわれたとある。
そういわれると 田うえは革新的な栽培技術というよりも、
ふだんしているイモつくりのつづきであり、
株わけはによる米つくりは、突拍子もないおもいつきではない。
わたしは自然農法による米つくりとして、
タネをじかまきするのが「自然」だとおもっていた。
しかし、タネまきだけで植物がふえていくのではないのだから。
イネにとってなにが自然かは かんたんにきめられない。
縄文時代の日本で どんな農耕がおこなわれていたのか、
稲作は どんな方法だったのか。
じかまき以外の方法による イネの自然農法が、
これからあきらかにされるかもしれない。
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