2016年01月13日

『小林カツ代と栗原はるみ』(阿古真里)料理研究家をとおしてみた主婦像

『小林カツ代と栗原はるみ』(阿古真里・新潮新書)

サブタイトルの「料理研究家とその時代」が
本書の内容をあらわしている。
時代によってもてはやされる料理研究家はちがってくる。
高度成長期には西洋料理を紹介する研究家が、
国民の9割が中流を意識した安定性には
ホームパーティーをひらいてみせる研究家が
あこがれをかきたてる。
バブルにはバブルの、平成には平成の主婦像があり、
時代とともにもとめられる料理はかわっていく。
料理研究家をかたることは、
その時代の主婦像をかたることでもあり、
おのずと主婦論にもつうじていく。
本書は、料理研究家をとおしてみた
主婦論のうつりかわりとしてもよめる。
ケンタロウさんやコウケンテツさんがでてきても、
壇流クッキングや魚柄仁之助さんの料理はとりあげられない。
主婦論と関係ないからだろう。

家電の普及がすすんだ1960年代に、
主婦の家事時間はほとんどへらなかったという。
ラクになった分だけ、主婦たちは新しい仕事をふやしたのである。その一つが、手のかかる料理である。

ここらへんは、梅棹忠夫さんの『妻無用論』にかかれているとおりだ。
妻たちは、自分の存在価値をおとさないために、
たいして必要ではない あたらしい仕事をあみだした。
そんな時代には、どんな料理法がもとめられただろう。
家事をへらしたい、でも、ちゃんとつくって家族に食べさせたいというアンビバレントな気持ちを抱く主婦に、処方箋を示したのが小林カツ代である。

本書では、肉じゃがとビーフシチューのつくり方を例にとり、
どこにポイントをおいているかによって
その料理家の特徴をあきらかにしている。
小林カツ代さんは「料理の鉄人」で陳建一さんにかつほど
手ばやくつくれる時短料理をあみだした。
小林カツ代さんはいそがしい毎日の生活で
どうしたら手間をはぶいた家庭料理ができるかをおしえてくれ、
栗原はるみさんはあくまでも専業主婦として
家族のなかに自分を位置づける。

わたしは『ごちそうさまが、ききたくて。』によって
栗原はるみさんをしった。
本屋さんにいけば、たくさんの料理本がならんでいるし、
ネットでもかんたんにレシピをおしえてくれる。
でも、あんがい自分にあったつくり方の本はないもので、
たとえばケンタロウさんのフライパン料理の本は
かってみたものの、じっさいにつくる気になれなかった。
そんななかで栗原はるみさんの料理は
わたしがもとめる価値観にあっていて、
ハヤシライスやまぜごはんなど、
定番になった料理がいくつもある。
かんたんで、こまかすぎず、失敗しない。

わたしの人生観は、小林カツ代さんの料理にひかれそうなのに、
小林さんによる本は1冊ももってなく、
専業主婦を否定しながら 栗原はるみさんのつくり方をこのむ。
なにをどうつくっているかと、そのひとの価値観には、
あんがいズレがあるのかもしれない。
頭のなかと 生きかたの矛盾が、料理としてあらわれる。

「弁当男子」ということばも生まれているそうだ。
わたしもお弁当をもって職場へいくけど、アルミ製のドカ弁に、
たまごやき・ソーセージ・塩サケをならべるだけで、
ちっとも「いけてない」お弁当だ。
こういうのは「弁当男子」とはいわないだろう。
栗原はるみさんは、こんなお弁当をこのまないだろうし、
小林カツ代さんならほめてくれそうな気がする。

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posted by カルピス at 10:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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