棚のうえにつかわない箱をおくのはアジア、
みたいなことがかいてあった(『望遠ニッポン見聞録』)。
ヤマザキさんの夫(イタリヤ人)にいわれたのだそうだ。
ヨーロッパ人はまずしないという。
そういわれると アジア的なふるまいが気になってきた。
ほかにも
・鼻をかまずに啜り上げる人を見た時。
・咀嚼中の食べ物が口の中に入ったまま喋っているのを見た時。
・車のなかにキッチュな縫いぐるみや
お守りがぶら下がっているのを見た時。
・足をぺたぺた引きずり気味に歩く人を見た時。
といった場面をヨーロッパ人がみると、
日本人はアジア人だとおもうらしい。
アジア的なしぐさとしては、ほかにもしゃがむ姿勢を
ヨーロッパ人はめったにしないそうだし、
スパゲッティをたべるときに
音をたててすするのは日本人だけ、
というのは いまではだれもがしっている。
そんなふうに、ひとつひとつのマナーを
もぐらたたきみたいにチェックし、まねををしてなおすのと、
生まれおちた環境から、当然のこととして
身についているのとでは ずいぶんちがいそうだ。
わたしは鼻をすすりあげるし、
棚のうえを有効活用できるスペースとしてとらえていた。
知識として それらをやめたとしても、
わたしは骨のズイまでアジア人であり、
ほかにも いろいろなところで
「アジア」が顔をだしているにちがいない。
韓国人や中国人の旅行者が、
飛行機の座席をひどくちらかすのをみて、
なんて行儀がわるいのかとあきれ、
自分はもっと洗練されたマナーを
身につけているとおもっていたけれど、
アジア以外でそだったひとからみれば、
わたしの一挙一動はアジアがプンプンにおっているのだろう。
アジア人なのだからしょうがないとおもいながらも、
アジアといわれて おもしろくない心理と、
アジアでなにがわるいと ひらきなおる気もちの両方で
わたしのつけやき刃的なマナーはゆれている。
ためにし棚の上の箱をおろし、
アジアでない棚を体験してみた。
たしかにゴチャゴチャしてない棚のうえはうつくしく、
部屋がおちついてみえる。
地震のときに安全でもあるし、
ついものがふえるのをふせいでくれるので、
家じゅうの棚のうえをすっきりさせたくなった。
ただ、しゃがむ姿勢が「アジア」といわれると、
わたしのなかにながれているアジアの血がさわぐ。
しゃがむのをかっこわるいとはいいたくないし、
余計なお世話だと反発したくなる。
スパゲッティだって、日本ですするぶんには
ほっておいてほしいけど、
これだけ情報がゆきわたってしまうと、たとえ日本でも、
音をたててスパゲッティをたべるのは勇気がいる。
棚のうえの荷物は、おもわぬ指摘だった。
いい・わるいではなく、
ヨーロッパ人はそこにものをおく発想がなく、
日本人にとっては有効活用できるスペースにうつる。
おなじものをつかっていても、
基本的な精神において、ヨーロッパと日本は
ずいぶんちがいがありそうだ。
ひらきなおるのではなく、
ちがいはちがいとして うけとめたい。
ヨーロッパ的なマナーにいかれたくはない。
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