最近になって『銃・病原菌・鉄』をよみはじめている。
10年まえに話題となった本であり、
いつもながら「いまさらながら」の読書だ。
ひとことでいうと この本は、
世界の地域間に おおきな格差が生まれたのはなぜかを
ときあがそうとする。
著者はさまざまな現象について
「それはなぜだろうか」と といかける。
なぜ世界はいまのすがたとなり、
そうでない方向にはすすまなかったのか。
なぜヨーロッパ系の国々が、
南北アメリカの先住民、アフリカ大陸の人びと、
そしてオーストラリア大陸のアボリジニを征服し、
その逆にはならなかったのか。
本書の第9章は、
家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。
という 魅力的な文章からはじまっている。
著者はこれを「アンナ・カレーニナの原則」と名づけた。
人類史を大きく変えた動物の家畜化の問題も、この原則によって説明できる。シマウマやヘソイノシシなどの大型哺乳類は家畜化できそうなものだが、人類史において家畜化されたことがない。それはなぜだろうか。
なぜある種の動物は家畜になり、
それ以外のものは家畜とならなかったのか。
なぜある種の植物は栽培されたのに、
それ以外のものは栽培されなかったのか。
なぜ農耕をとりいれた民族がいるいっぽうで、
狩猟採集をつづけることをえらんだ民族がいるのか。
いくつもの分野に「アンナ・カレーニナの原則」はあてはまるだろう。
そうならなかったのには、さまざまな理由がある。
まだよみかけであり、わたしの理解もあさく
きれいに謎がはれたわけではないけれど
「それはなぜだろうか」と といつづける著者の姿勢にわくわくする。
そうやって格差の疑問をときあかすことは、
きのうのブログにかいた
「棚の上の荷物はアジア」とも関係するのではないか。
なぜヨーロッパ系のひとびとは、
棚のうえに荷物をおかないのに、
アジアではものをおくスペースになってしまうのか。
また、最近わたしが関心をもっている
農耕や稲作の起源についても 問題意識がかさなっている。
日本は弥生時代になってから稲作がつたわった。
それはなぜだろうか。
700万年まえに生まれた人類が、
1万3000年まえをスタートにして、
わずかなあいだに爆発的な発展をとげたのはなぜか。
ものごとの現状に疑問をなげかけ、
その起源についてさかのぼるのは すべてにおいて興味ぶかい。
世界の起源をかんがえるうえで、
本書は適切な解説書になってくれそうだ。
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